松方 正義

まつかた まさよし(Matsukata Masayoshi)

松方 正義の肖像
松方 正義の肖像 Wikimedia Commons / Public Domain
生没年1835-03-23 〜 1924-07-02
時代明治
分野政治家
墓所区画1種ロ17号1側
タグ内閣総理大臣 / 日本銀行 / 松方財政 / 薩摩藩

日本銀行を作った男

松方正義は、第 4 代・第 6 代内閣総理大臣にして、明治期日本財政の最高責任者を 20 年以上務めた「松方財政」の中心人物である。彼の最大の業績は、日本銀行の創設(1882 年)と銀本位制の確立(1885 年)、そして「松方デフレ」と呼ばれる緊縮財政によるインフレ収束 — これらを束ねて言えば、明治日本の通貨と財政の骨格を作ったことに尽きる。

明治維新後の日本は、西南戦争(1877 年)の戦費調達のため大量の不換紙幣を発行し、激しいインフレと正貨流出に苦しんでいた。明治 14 年(1881 年)、大蔵卿に就任した松方は、不換紙幣の整理・緊縮財政・増税を断行し、明治 18 年(1885 年)からは日本銀行による銀兌換券の発行を開始。これにより日本は近代的な金融システムを持つ国家になった。短期的にはデフレと農村疲弊・士族没落を引き起こし、自由民権運動の激化と「日本資本主義の本格的成立」(地主と都市資本家の分化)を同時に推し進めた、明治日本経済史の最大の構造変動である。

その後、第 4 代(1891-1892 年)・第 6 代(1896-1898 年)の内閣総理大臣を務め、いずれも蔵相を兼任。日清・日露戦争の戦費調達と戦後経営、台湾統治・植民地経営の財政基盤もすべて松方財政の枠組みで動いた。元老として大正期にも宮中で影響力を保ち、男爵から侯爵を経て公爵に叙された。非皇族で公爵まで上り詰めたのは、明治期では伊藤博文・山県有朋・大山巌・桂太郎ら数えるほどしかいない。

そして大正 13 年(1924 年)7 月 2 日、東京で死去。享年 90。明治の元勲としては最後期まで生き、明治・大正の財政運営を半世紀以上にわたって支えた人物だった。

15 男 11 女、計 26 人(夭折を含む)の子を儲けたことでも知られ、松方家は近代日本財界・政界に多数の人材を送り出した(三男・松方幸次郎は川崎造船所社長・松方コレクション収集者)。

薩摩の下級藩士、レオン・セーとの出会い

天保 6 年(1835 年)、薩摩国鹿児島城下に薩摩藩士の四男として生まれる。藩校・造士館で学んだ。家格はそれほど高くなく、戊辰戦争では日田県知事として九州統治に当たり、その実務能力が同郷の先輩・大久保利通の目に留まった。

明治新政府で大蔵省に入り、地租改正(1873 年)の実務を支えた。明治 11 年(1878 年)、フランス出張でフランスの財政家・レオン・セー(三度蔵相を務めた大物財政家)と会見。「中央銀行を持たない国は近代国家ではない」とのアドバイスを受け、これが後の日本銀行創設の構想に直結する。フランス財政思想の影響は、松方財政の理論的支柱となった。

松方デフレ — 不換紙幣との戦い

明治 14 年(1881 年)、大蔵卿に就任。西南戦争で発行された不換紙幣は約 1 億 5 千万円に達し、正貨保有はわずか 800 万円程度。紙幣 1 円の価値が銀貨で 60 銭まで下落し、米価は急騰、国家財政は破綻寸前だった。

松方は徹底した緊縮財政を断行する。①新規通貨発行の停止、②増税(酒造税・煙草税)による国庫収入増、③政府保有の官営工場・鉱山・鉄道の民間払下げ、④回収した不換紙幣の焼却。並行して、明治 15 年(1882 年)に日本銀行を創設し、明治 18 年(1885 年)から銀兌換券の発行を開始した。

結果、インフレは収束し、紙幣価値は回復した。しかし急激なデフレは農村に深刻な打撃を与えた。米価暴落で自作農が没落して小作農化し、土地を集積した地主が新興資本家として登場する。「松方デフレ」は日本社会の階層構造を根本から組み替えた事件であり、自由民権運動の激化と相まって、明治中期の社会構造の決定的な転換点となった。

二度の首相、そして元老として

明治 24 年(1891 年)、山県有朋に代わって第 4 代内閣総理大臣に就任(1892 年まで)。明治 29 年(1896 年)に第 6 代総理大臣として再登板(1898 年まで)。いずれも自ら蔵相を兼任して、財政運営を直接握り続けた。

日清戦争の戦費調達(明治 27-28 年/1894-1895 年)、戦後の賠償金活用による金本位制移行(明治 30 年/1897 年)、日露戦争前の建艦計画の財政手当 — 明治後半の財政運営は松方の手で動いていた。

明治末から大正期、松方は宮中に入り、伊藤博文・山県有朋とともに元老として首班奏薦に関与した。明治末から大正初期にかけて元老の中心となり、宮中重臣として国政に最後まで影響力を保ち続けた。

90 歳、明治を生き抜いた最後の元勲

大正 13 年(1924 年)7 月 2 日に死去。享年 90。同年代の元勲・伊藤博文(1909 年、ハルビン駅で暗殺)、山県有朋(1922 年没)、大山巌(1916 年没)、井上馨(1915 年没)らが先に逝き、松方は明治の元勲世代の最後期の生き残りだった。

青山霊園に眠る

松方正義の墓は、青山霊園 1種ロ17号1側。同じ青山霊園には、薩摩同郷で明治財政の最初の設計者・大久保利通(松方を取り立てた人物)、海軍出身蔵相経験者の加藤友三郎、戦前の蔵相を 2 度務めた井上準之助、金解禁を進めた浜口雄幸など、明治・大正・昭和の財政史を担った政治家たちが各区画に点在する。

「日本の財政史を歩く」散歩道として、青山霊園は一つの教科書である。

墓所の位置

参考資料

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