大久保 利通

おおくぼ としみち(Okubo Toshimichi)

生没年1830-09-26 〜 1878-05-14
時代明治
分野政治家
タグ明治維新 / 薩摩藩 / 内務省

生涯

文政13年(1830年)、薩摩国鹿児島城下に薩摩藩士の子として生まれる。幼少期から西郷隆盛と親交を結び、ともに藩主・島津斉彬の薫陶を受けた。斉彬の急逝後は不遇の時期を経て、藩政の中枢に進出。公武合体運動・薩長同盟の締結・王政復古の大号令と、倒幕への道のりを実務面で支えた。

明治新政府では参議・大蔵卿などを歴任。岩倉使節団(1871-1873)の副使として欧米を視察し、近代国家の制度設計を学ぶ。帰国後、征韓論をめぐって西郷隆盛と袂を分かち、留守政府を退けて新政府の実権を握った。以降、内務省を創設して初代内務卿に就任し、殖産興業・地租改正・学制整備など、明治日本の基礎を一手に築いた。

明治11年(1878年)5月14日、東京・紀尾井坂において、不平士族の襲撃を受け暗殺される。享年47。世にいう「紀尾井坂の変」である。

主な業績

青山霊園での墓所

大久保利通の墓は、東京都港区南青山の青山霊園内に建立されている。明治維新を主導した薩摩出身の元勲として、近代日本史を学ぶ上で訪れる人の絶えない墓所である。

なお、暗殺の地である紀尾井坂(現在の千代田区紀尾井町)には、追悼の石碑「贈右大臣大久保公哀悼碑」が建てられている。

参考資料

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