北里 柴三郎

きたさと しばさぶろう(Kitasato Shibasaburo)

北里 柴三郎の肖像
北里 柴三郎の肖像 Wikimedia Commons / Public Domain
生没年1853-01-29 〜 1931-06-13
時代明治
分野学者
墓所区画1種イ19号2側
タグ細菌学 / 慶應義塾大学医学部 / 北里研究所 / 千円札

「日本の細菌学の父」、千円札になった世界的科学者

北里柴三郎は、「日本の細菌学の父」と呼ばれ、世界の医学史にも名を残す細菌学者である。当時の医学が手も足も出なかった破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し(明治 22 年/1889 年)、続いて血清療法を確立。さらにペスト菌の発見(明治 27 年/1894 年、香港)を含め、人類史上の伝染病との戦いの最前線を、明治の日本人がリードしていた時代を作り出した。

第 1 回ノーベル生理学・医学賞(1901 年)は、ジフテリア血清療法を北里と共同で発表したベーリングが単独受賞している。北里が受賞対象から外れた経緯には西洋中心主義の影響を指摘する声もあるが、北里自身は受賞そのものより研究を続けることに価値を置いた。

国内では、私財を投じて伝染病研究所・北里研究所を設立し、福澤諭吉の招きで慶應義塾大学医学部を創設(1917 年、初代医学部長)、日本医師会の初代会長(1923 年)も務めた。研究者であると同時に、日本の医療制度・医学教育の制度設計者でもあった。

2024 年 7 月、新千円札の肖像となった。一人の科学者が日本の紙幣の顔になるという事実そのものが、北里柴三郎が近代日本に与えた影響の大きさを物語っている。郷里・熊本県小国町と東京・白金の北里研究所(現・北里大学)を、今も多くの参拝者・見学者が訪れている。

熊本の山村から、コッホの研究室へ

嘉永 5 年(1853 年)、肥後国阿蘇郡小国郷北里村(現・熊本県小国町)の庄屋の長男として生まれる。熊本医学校で蘭医マンスフェルトに学び、東京医学校(現・東京大学医学部)を卒業後、内務省衛生局に入局。明治 18 年(1885 年)、衛生局長・長與專斎の計らいで、ベルリン大学のロベルト・コッホ(結核菌・コレラ菌の発見者)に師事する機会を得た。

コッホの研究室で、北里は当時医学最大の難題に挑んだ。破傷風菌は酸素のある環境では生きられない偏性嫌気性菌で、当時の培養技術では純粋培養が不可能とされていた。北里は二重培養法という独自の方法を考案し、明治 22 年(1889 年)、世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功した。続いて発症のメカニズムを菌の毒素に求め、毒素を中和する抗体を血清に作り出す血清療法を、エミール・フォン・ベーリングと共同で確立(明治 23 年/1890 年)。これは「血清で病気を治す」という発想の出発点であり、現代免疫学の原型である。

福澤諭吉との出会いと、私立研究所

明治 25 年(1892 年)、北里は世界的名声を得て帰国した。だが東京帝国大学医学部は北里を冷遇した。在学中の論文を巡って北里が東大教授を批判したことで対立し、研究の場が国内に用意されていなかったのである。

そこに手を差し伸べたのが、福澤諭吉だった。福澤は土地と資金を提供し、私立の伝染病研究所(明治 25 年創設、北里所長)が東京・白金に立ち上がる。これが後の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)の源流である。

明治 27 年(1894 年)、香港でペスト大流行が発生。北里は政府に派遣され、わずか数日で病院倉庫の即席実験室からペスト菌を発見した(同年、スイス人医師アレクサンドル・イェルサンも独立発見)。20 世紀の世界をペストの恐怖から解放する、出発点となる発見だった。

慶應への恩返し

大正 3 年(1914 年)、北里は文部省による伝染病研究所の文部省移管(東京帝大の管理下に置く方針)に抗議して所長を辞任。同志を引き連れて、私財を投じて北里研究所を設立した。「研究の独立を守る」という、明治日本の科学者としては前例のない決断だった。

その北里に、福澤諭吉の三男・福澤捨次郎が慶應義塾大学医学部の創設を依頼する。慶應義塾はもともと医学部を持っていなかった。福澤への恩義に応えるため、北里は無報酬で初代医学部長・初代病院長を引き受けた(1917 年)。福澤はすでに 1901 年に亡くなっていた。北里にとっては、25 年前に伝染病研究所を支えてくれた恩人への、遅すぎる、しかし確かな恩返しだった。

昭和 6 年(1931 年)6 月 13 日、北里は脳出血で死去。享年 78。

青山霊園に眠る

北里柴三郎の墓は、青山霊園 1種イ19号2側。同じ「1種イ19号」の区画には、日露戦争でコサック騎兵を抑止した秋山好古が眠る。明治日本が世界の一等国へ駆け上がる上で必要だった、軍事と科学の両輪を担った二人が、同じ一画に並んでいる。

郷里の熊本県小国町には北里柴三郎記念館、東京・白金には北里研究所(現・北里大学)が遺されている。2024 年 7 月の新千円札発行以降、改めて参拝者が増えている。

墓所の位置

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参考資料

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