朝鮮戦争勃発
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)軍が三十八度線を越えて大韓民国に侵攻し、朝鮮戦争が勃発。米軍中心の国連軍と中国人民義勇軍も参戦する東アジア最大の冷戦熱戦となり、占領下の日本は警察予備隊創設・特需景気で戦後復興の転換点を迎えた。
三十八度線を越えた北朝鮮軍
昭和二十五年(一九五〇)六月二十五日未明、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)軍が北緯三十八度線全域で南進を開始し、大韓民国軍に対する全面攻撃を行った。北朝鮮軍はソ連製T-三十四戦車を主力に三日で首都ソウルを陥落させ、八月までに洛東江以南を除く朝鮮半島のほぼ全域を制圧した。これに対し米軍と国連軍は緊急介入を決定し、九月十五日にマッカーサー指揮下で仁川上陸作戦を成功させ戦線を一気に逆転。北進した国連軍は中朝国境の鴨緑江に迫ったところで、十月下旬から中国人民義勇軍が大規模介入し、戦線は再び三十八度線付近に戻り膠着した。一九五三年七月二十七日の板門店休戦協定まで、三年一か月にわたる東アジア最大の冷戦熱戦となった。
背景 — 冷戦下の南北分断と二つの朝鮮政府成立
朝鮮半島は一九四五年八月の日本敗戦後、三十八度線を境に米ソ両軍に分割占領された。米ソ対立の深刻化により統一政府樹立は不可能となり、一九四八年八月に南で大韓民国(李承晩大統領)、九月に北で朝鮮民主主義人民共和国(金日成首相)が成立した。両政府はそれぞれ朝鮮半島全土の唯一の正統政府を自認し、三十八度線では絶えず武力衝突が発生していた。一九四九年六月のアメリカの在韓米軍撤退完了、一九五〇年一月のアチソン米国務長官の「アジア防衛線」演説(韓国・台湾を防衛線外と示唆)が、北朝鮮の南進判断を促した一因とされる。背後にはソ連スターリンの戦略的判断と中国毛沢東政権成立による東アジア共産圏の拡大があった。
経過 — 警察予備隊創設と日本の戦後経済
朝鮮戦争勃発は、占領下の日本に直接的衝撃を与えた。マッカーサー連合国軍最高司令官は七月八日、吉田茂首相に書簡を送り、警察予備隊七万五千名と海上保安庁定員八千名増員を指令。これが後の保安隊・自衛隊への直接の起源となった。経済面では「朝鮮特需」と呼ばれる米軍向け軍需物資調達ブームが日本産業界に空前の発注を生み、自動車・繊維・化学・機械工業が急成長。年間特需額は最大十億ドルに達し、戦後復興の停滞していた日本経済を急速な成長軌道に乗せた。一九五一年九月のサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約への道筋も、朝鮮戦争による日本の戦略的価値の急上昇によって開かれた。
影響 — 戦後日本の進路を決定づけた冷戦熱戦
朝鮮戦争は単なる朝鮮半島の内戦ではなく、東アジア冷戦体制の枠組みを物理的に確定させた大事件であった。日本は米国の前方基地として位置付けられ、再軍備・経済復興・対米同盟という戦後路線の三本柱がこの時期に固まった。占領下に始まった三年一か月の戦争が、講和条約と日米安保条約による主権回復(一九五二)、続く高度経済成長期へと、戦後日本の構造を決定づけた。今日まで続く朝鮮半島の南北分断・米軍基地の沖縄集中・憲法九条と自衛隊の関係といった戦後日本の論点群の起点は、ほぼすべてこの戦争にある。