事件一覧
青山霊園に眠る偉人たちが関わった歴史的な出来事を、時系列順に並べた索引です。各事件をクリックすると詳細と関連する偉人の一覧が見られます。
- 事件 江戸 1853 年 7/8
ペリー来航(黒船来航)
米国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる蒸気軍艦四隻が浦賀沖に来航し、開国を要求する大統領親書を幕府に提出。二百余年の鎖国体制が事実上終わりを告げ、幕末動乱の幕が切って落とされた。
- 事件 江戸 1858 年 9/14
安政の大獄(戊午の密勅事件)
大老井伊直弼が日米修好通商条約の無勅許調印と将軍継嗣問題を巡って、反対派の公卿・大名・志士百名以上を弾圧。橋本左内・吉田松陰ら有為の人材が処刑され、二年後の桜田門外の変の直接の引き金となった。
- 事件 江戸 1860 年 3/24
桜田門外の変
大老・井伊直弼が江戸城桜田門外で水戸浪士と薩摩藩士に襲撃され暗殺。倒幕運動の起点となった事件。
- 事件 江戸 1862 年 9/14
生麦事件
武蔵国橘樹郡生麦村(現横浜市鶴見区)で、薩摩藩主の父・島津久光の行列を横切った英国人四名のうち一名が薩摩藩士に斬殺された。賠償交渉決裂で翌年薩英戦争が勃発し、薩摩藩の開明派転換と倒幕主導の遠因となった。
- 事件 江戸 1864 年 8/20
禁門の変(蛤御門の変)
八月十八日の政変で京都を追われた長州藩兵が、藩主父子の冤罪雪辱を訴えて京へ進発。御所周辺で会津・薩摩・桑名兵と銃撃戦となり、蛤御門で激戦の末長州が敗走。長州は朝敵となり、第一次長州征討へ発展した。
- 政変 江戸 1867 年 11/9
大政奉還
15 代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上。土佐藩・後藤象二郎が起草した建白書を機に決断、260 年余の江戸幕府が事実上終焉した。
- 政変 明治 1868 年 1/3
王政復古の大号令
慶応三年十二月九日、薩摩・土佐・芸州・尾張・越前五藩の兵が御所を制圧する中、朝廷は王政復古の大号令を発し、幕府・摂政・関白の制度廃止と三職(総裁・議定・参与)による新政府樹立を宣言。江戸幕府は政治的に完全に終焉した。
- 戦争 明治 1868 年 1/27
鳥羽伏見の戦い
戊辰戦争の口火を切った京都南郊の戦闘。旧幕府軍と新政府軍が交戦、旧幕府軍の敗北で江戸開城へ向かう流れが決定。
- 戦争 明治 1869 年 6/27
函館戦争終結(五稜郭開城)
榎本武揚率いる蝦夷共和国軍が五稜郭で降伏。戊辰戦争が終結し、新政府の全国統一が完成。
- 政変 明治 1869 年 7/25
版籍奉還
明治二年六月十七日、薩長土肥四藩主が朝廷へ領地(版図)と領民(戸籍)を返上したことを契機に、全国の藩主が版籍奉還を上表。藩主は知藩事として元の領地を治め続けたが、土地と人民の所有権は形式上朝廷に帰し、廃藩置県への布石となった。
- 社会 明治 1871 年 8/29
廃藩置県
明治政府が全国 261 藩を廃止して府県に置き換える詔勅を発布。大久保利通・西郷隆盛・木戸孝允が主導、近代中央集権国家の骨格が完成した。
- 社会 明治 1872 年 9/5
学制発布
明治政府が日本初の近代的教育制度「学制」を公布。全国を八大学区に分け、各大学区に三十二中学区、各中学区に二百十小学区を置き、約五万三千校の小学校設置を目指した。国民皆学の理念を掲げ、近代日本の教育の出発点となった。
- 社会 明治 1873 年 7/28
地租改正条例公布
大久保利通主導で地価の 3% を金納する税制に統一。江戸期の年貢から脱却し、明治政府の安定財源を確立、土地所有制度の近代化も実現した。
- 政変 明治 1873 年 10/24
明治六年政変(征韓論政変)
朝鮮への使節派遣をめぐる対立で西郷隆盛・板垣退助ら参議が下野。大久保利通による内治優先体制が確立。
- 政変 明治 1874 年 1/17
民撰議院設立建白書
板垣退助・後藤象二郎・副島種臣ら 8 名が、議会開設を求める建白書を左院に提出。自由民権運動の起点となり、後の帝国議会開設(1890 年)へとつながった。
- 戦争 明治 1877 年 2/15
西南戦争開戦
西郷隆盛を担いだ薩摩士族約 1 万 4,000 が鹿児島を出発、政府軍と全面戦争へ。日本最後の士族反乱は同年 9 月の城山陥落で終結する。
- 戦争 明治 1877 年 9/24
西南戦争終結(城山陥落)
西郷隆盛が鹿児島・城山で自刃し、西南戦争が終結。日本最大の士族反乱が終わり、不平士族の武力抵抗の時代が幕を閉じた。
- 事件 明治 1878 年 5/14
紀尾井坂の変(大久保利通暗殺)
内務卿・大久保利通が登城途中に紀尾井坂で石川県士族・島田一郎ら 6 名に襲撃され暗殺。維新三傑が全て世を去った瞬間。
- 事件 明治 1882 年 7/23
壬午事変(壬午軍乱)
朝鮮王朝の首都漢城で、給与未払いに憤激した旧式軍兵士が大院君に擁立されて反乱。日本公使館が焼かれ堀本礼造ら日本人軍事顧問が殺害された。日本は花房義質公使を済物浦条約交渉に派遣し、朝鮮半島への軍事介入の起点となった。
- 政変 明治 1884 年 12/4
甲申政変
朝鮮・京城で金玉均ら開化派が清国保守派に対しクーデターを決行、わずか 3 日で失敗。金玉均は日本に亡命、後に上海で暗殺される。
- 内閣 明治 1885 年 12/22
内閣制度発足
太政官制を廃止して内閣制度を創設。伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任、各省大臣が天皇を輔弼する近代的な行政体制が始まった。
- 社会 明治 1889 年 2/11
大日本帝国憲法発布
明治天皇により大日本帝国憲法が発布。アジア初の近代的成文憲法で、第2代総理大臣・黒田清隆の在任中に成し遂げられた。
- 社会 明治 1890 年 10/30
教育勅語発布
明治天皇による教育の基本方針を示す勅語。井上毅・元田永孚が起草、忠君愛国・孝悌信義を中心に据えた戦前日本の教育規範の中核となった。
- 事件 明治 1893 年 6/29
福島安正シベリア単騎横断完了
陸軍少佐・福島安正がベルリンを出発し馬一頭で約 14,000km を踏破、約 488 日かけてウラジオストクから日本に帰国。シベリア鉄道建設の進捗を実地踏査した情報将校の偉業で、明治日本中で国民的英雄となった。
- 戦争 明治 1894 年 8/1
日清戦争開戦
清国に対して宣戦布告、日清戦争が始まる。参謀本部次長・川上操六が大本営作戦立案の中心を担う。日本の近代戦争の幕開け。
- 条約 明治 1895 年 4/17
下関条約調印
日清戦争の講和条約を伊藤博文・陸奥宗光が清国李鴻章と調印。台湾・遼東半島の割譲と賠償金 2 億両を獲得、日本が東アジアの新興強国となった転機。
- 事件 明治 1895 年 4/23
三国干渉
下関条約調印六日後、ロシア・ドイツ・フランス三国が日本に遼東半島の清への返還を勧告。日本はやむなく要求を受諾し、追加賠償金三千万両と引き換えに半島を返還した。「臥薪嘗胆」のスローガンを生み、十年後の日露戦争への直接の伏線となった。
- 事件 明治 1895 年 10/8
乙未事変(閔妃暗殺事件)
駐韓公使・三浦梧楼が日本軍守備隊・大陸浪人を率いて景福宮に侵入、朝鮮王妃・閔妃を殺害。日韓関係に深い汚点を残した事件。
- 事件 明治 1900 年 7/4
河口慧海、ヒマラヤを越えて鎖国チベットに入境
黄檗宗の僧侶・河口慧海が、鎖国状態のチベット王国にヒマラヤを越えて単身潜入。漢人僧を装って国境を越えた、日本人として初のチベット入境を果たした。後のラサ滞在で多数の梵語・チベット語仏典を収集、近代日本のチベット学・密教研究の基礎となる。
- 社会 明治 1900 年 7/21
高峰譲吉、世界初のアドレナリン結晶単離
ニューヨーク在住の応用化学者・高峰譲吉が、共同研究者・上中啓三とともに、副腎髄質ホルモン「アドレナリン(エピネフリン)」を世界で初めて純粋結晶として単離。日本人初の世界的医学化学発見で、近代内分泌学・救急医学の基礎となった。
- 条約 明治 1902 年 1/30
日英同盟締結
駐英公使・林董が日本側全権としてランズダウン外相と調印。極東におけるロシア南下への共同対抗を約す、明治日本初の対等同盟。
- 社会 明治 1903 年 6/1
日比谷公園開園(日本初の洋風近代公園)
東京・日比谷に日本初の洋風近代公園が開園。本多静六(東京帝大林学博士)の設計による、桜田濠跡を生かした十六ヘクタールの都市公園で、明治日本の文明開化と都市計画の象徴的事業として位置付けられた。
- 戦争 明治 1904 年 2/10
日露戦争開戦
日本が露国に宣戦布告、日露戦争が始まる(2 月 8 日仁川沖・旅順港攻撃後)。海軍大臣・山本権兵衛が事前に連合艦隊体制を整備していた。
- 戦争 明治 1904 年 3/27
第二回旅順港閉塞作戦(広瀬武夫戦死)
ロシア艦隊封じ込めの自爆船作戦で、指揮官・広瀬武夫海軍中佐が部下・杉野孫七を探した末に被弾戦死。「軍神」の名は本作戦で生まれた。
- 戦争 明治 1904 年 5/26
南山の戦い
日露戦争初期、奥保鞏率いる第二軍が遼東半島の要衝・南山を奪取。死傷者 4,387 名の大損害で「電報の零が一つ多い」と東京大本営が誤認した、後に「南山の奥」と呼ばれる激戦。
- 戦争 明治 1904 年 8/10
黄海海戦(日露戦争)
旅順港外で東郷平八郎率いる連合艦隊がロシア太平洋艦隊と交戦。ロシア司令官ヴィトゲフトを戦死させ、旅順艦隊の脱出を阻止、日本海海戦への布石を作った。
- 戦争 明治 1905 年 1/2
旅順要塞陥落
乃木希典率いる第 3 軍が 203 高地占領後、ロシア軍ステッセル中将と水師営で会見、旅順要塞が降伏。日本側 5 万 9,000 名の犠牲を出した激戦の終結。
- 戦争 明治 1905 年 1/25
黒溝台会戦
ロシア軍の冬季大反攻に対し、立見尚文の第八師団が中央で薄氷を踏む防戦に成功。野津道貫元帥は立見を「東洋一の用兵家」と讃えた。
- 戦争 明治 1905 年 3/10
奉天会戦終結
日露戦争最大の陸上決戦。野津道貫第 4 軍・秋山好古騎兵旅団らが奉天を占領、ロシア軍を北方に駆逐。日本陸軍の人的・物的消耗も限界に達した戦い。
- 戦争 明治 1905 年 5/27
日本海海戦
東郷平八郎率いる連合艦隊がロシア・バルチック艦隊を対馬沖で撃破。参謀長・加藤友三郎が「T 字戦法」の運用を補佐、日露戦争の勝利を決定づけた。
- 条約 明治 1905 年 9/5
ポーツマス条約調印
外相・小村寿太郎が日本側全権として米ポーツマスでロシア全権ウィッテと講和条約に調印。日露戦争が終結、賠償金なき講和に世論は激怒し日比谷焼打事件へ。
- 社会 明治 1909 年 7/4
赤坂離宮(東宮御所)竣工
宮内省内匠頭・片山東熊の設計による東宮御所(後の赤坂離宮、現・迎賓館赤坂離宮)が竣工。明治日本のネオ・バロック様式建築の頂点で、片山がジョサイア・コンドル門下生として培った西洋建築技法を結集した、明治建築の最高傑作と評される。
- 条約 明治 1910 年 8/22
韓国併合条約調印
韓国統監・寺内正毅と韓国首相・李完用が併合条約に調印。同月 29 日の公布で大韓帝国は日本に併合、以後 35 年間の植民地統治期に入る。
- 条約 明治 1911 年 2/21
関税自主権回復(日米通商航海条約改正)
外相・小村寿太郎が日米新通商航海条約に調印、関税自主権を回復。陸奥宗光の治外法権撤廃(1894)と合わせて、半世紀にわたる不平等条約改正が完了した。
- 社会 大正 1912 年 7/30
明治天皇崩御
明治天皇が六十歳で崩御し、明治四十五年が大正元年に改元。維新と近代化を象徴した在位四十五年の時代が終焉した。続く九月の御大喪に合わせて乃木希典夫妻が殉死し、明治という時代の精神的な区切りを国民に深く刻んだ。
- 事件 大正 1912 年 9/13
乃木希典・静子夫妻殉死
明治天皇大葬の夜、陸軍大将・乃木希典と妻・静子が赤坂の自邸で殉死。明治の終焉を象徴する出来事として国民を衝撃させた。
- 政変 大正 1912 年 12/21
第 1 次護憲運動(第 3 次桂太郎内閣成立)
西園寺内閣総辞職を受け桂太郎が組閣。「閥族打破・憲政擁護」を掲げる尾崎行雄・犬養毅らの護憲運動が起き、翌大正 2 年 2 月の桂内閣崩壊(大正政変)へとつながる。
- 事件 大正 1914 年 1/23
シーメンス事件
ドイツのシーメンス社が日本海軍高官に賄賂を渡していたことが暴露された海軍最大の汚職事件。第一次山本権兵衛内閣が責任を取って総辞職、八代六郎を海相とする大隈重信内閣に交代し、海軍人事の刷新が断行された。
- 条約 大正 1915 年 1/18
対華二十一箇条要求
第一次大戦中の中華民国に対し、大隈重信内閣の加藤高明外相が二十一箇条の要求を提出。山東省ドイツ権益の継承、関東州租借期間延長、漢冶萍公司の日華合弁化などを迫り、強引な交渉の末ほぼ受諾させたが、中国に「国恥」の記憶を残し、後の排日運動の根源となった。
- 条約 大正 1919 年 1/18
パリ講和会議開幕
第一次世界大戦の戦後処理会議が開幕。日本全権は西園寺公望・牧野伸顕ら、人種的差別撤廃条項を提案するも採択されず、ベルサイユ条約締結(同年 6 月)に至る。
- 事件 大正 1919 年 3/1
三・一独立運動
朝鮮で「独立宣言書」が読み上げられ、京城・平壌など全土で大規模な独立運動が発生。第二代朝鮮総督・長谷川好道のもとで武力鎮圧されたが、犠牲者多数を出し、後の文化政治への転換と斎藤実総督就任の契機となった。
- 条約 大正 1922 年 2/6
ワシントン海軍軍縮条約調印
海相・加藤友三郎が日本全権として調印、主力艦の対米英比率を 5:5:3 に制限。「ワシントン体制」の中核となり、大正末から昭和初期の国際秩序を支えた。
- 災害 大正 1923 年 9/1
関東大震災
相模湾を震源とする M7.9 の大地震。死者・行方不明者 10 万人超。後藤新平が帝都復興院総裁として近代東京の都市計画を主導した。
- 事件 大正 1923 年 12/27
虎ノ門事件
摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が議会開院式に向かう途中、虎ノ門で無政府主義者・難波大助に狙撃される。山本権兵衛内閣は警備責任を取り総辞職した。
- 社会 大正 1925 年 4/22
治安維持法公布
加藤高明内閣が「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スル」結社の組織と参加を禁じる治安維持法を公布。同年五月の普通選挙法と表裏一体で制定され、共産主義・無政府主義運動を取り締まる根拠法として、戦前期の思想弾圧の中核法となった。
- 社会 大正 1925 年 5/5
普通選挙法公布
加藤高明内閣が衆議院議員選挙法を改正、25 歳以上の男性全員に選挙権を与える。同時に治安維持法も公布、大正デモクラシーの到達点と暗い影が同居した日。
- 社会 大正 1925 年 7/13
『女工哀史』刊行
紡績工場の元職工・細井和喜蔵が、紡績・製糸工場で働く女工たちの過酷な労働実態を内側から記録したルポルタージュ『女工哀史』を改造社から刊行。戦前日本の労働問題告発の古典となり、刊行わずか一ヶ月後に著者は腹膜炎で死去した。
- 条約 昭和 1930 年 4/22
ロンドン海軍軍縮条約調印
浜口雄幸内閣が補助艦(巡洋艦・駆逐艦)の対米比率 7 割で調印。海軍軍令部の反発が「統帥権干犯問題」となり、同年 11 月の浜口首相狙撃事件の遠因となった。
- 事件 昭和 1930 年 11/14
浜口雄幸狙撃事件
「ライオン宰相」浜口雄幸首相が東京駅で右翼青年・佐郷屋留雄に狙撃され重傷。ロンドン海軍軍縮条約への反発が背景。翌年没。
- 戦争 昭和 1931 年 9/18
満州事変(柳条湖事件)
関東軍参謀板垣征四郎・石原莞爾らが奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道線路を自ら爆破し、これを中国軍の仕業として軍事行動を開始。半年で満州全土を占領し翌年「満洲国」を建国した。日本の対外膨張路線が大陸戦争へ大きく踏み出した転換点となった。
- 事件 昭和 1932 年 2/9
井上準之助暗殺(血盟団事件)
前蔵相・井上準之助が東京・本郷で血盟団員・小沼正に銃撃され死亡。続く 3 月の団琢磨暗殺と合わせて、昭和初期テロリズムの幕開けとなった。
- 事件 昭和 1932 年 4/29
上海天長節爆弾事件(虹口公園事件)
上海事変停戦祝賀のため虹口公園で開かれた天長節祝賀会で、朝鮮独立運動家・尹奉吉が爆弾を投擲。上海派遣軍司令官・白川義則大将は 108 か所の傷を負いながら式典収拾を指揮し、約一か月後に殉職。
- 事件 昭和 1932 年 5/15
五・一五事件(犬養毅暗殺)
海軍青年将校らが首相官邸を襲撃、犬養毅首相が「話せばわかる」「問答無用」の応酬の末に銃撃され死亡。政党内閣の時代が終焉。
- 条約 昭和 1933 年 3/27
国際連盟脱退通告
国際連盟臨時総会で満洲国不承認決議が四十二対一で採択されたことを受け、日本政府は国際連盟脱退を正式通告。首席全権の松岡洋右が議場から退場した姿は世界中に報じられた。日本は国際協調体制から自ら離脱し、孤立への道を歩み始めた。
- 事件 昭和 1935 年 8/12
相沢事件(永田鉄山軍務局長暗殺)
陸軍省軍務局長室で、皇道派の相沢三郎中佐が統制派の中心・永田鉄山軍務局長を軍刀で斬殺。半年後の二・二六事件の直接的伏線となった陸軍中央の前代未聞の事件。
- 事件 昭和 1936 年 2/26
二・二六事件
皇道派青年将校が約 1,500 名の下士官兵を率いて首相官邸・陸相官邸・警視庁などを襲撃。高橋是清蔵相・斎藤実内大臣・渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害され、牧野伸顕は襲撃を生き延びた。戦前日本の政党政治を終焉させた未遂クーデター。
- 戦争 昭和 1937 年 7/7
盧溝橋事件・日中戦争開戦
北平(現北京)郊外の盧溝橋付近で夜間演習中の支那駐屯軍と国民党第二十九軍が衝突。当初は局地的小競り合いだったが、近衛文麿内閣の派兵決定で全面戦争へエスカレートし、八年間続く日中戦争の起点となった。
- 事件 昭和 1940 年 2/2
齋藤隆夫の反軍演説(支那事変処理に関する質問演説)
立憲民政党代議士・齋藤隆夫が、衆議院本会議で支那事変処理を巡って軍部を厳しく批判する「反軍演説」を行う。後に演説の一部削除と齋藤の議員除名へ発展、戦時下日本の言論統制の象徴的事件となった。
- 条約 昭和 1940 年 9/27
日独伊三国同盟締結
外相・松岡洋右がベルリンで日独伊三国軍事同盟に調印。第2次近衛内閣の対米強硬路線を象徴、日米開戦への分岐点となった。
- 戦争 昭和 1941 年 12/8
真珠湾攻撃・日米開戦
日本海軍機動部隊が米ハワイ・真珠湾を奇襲、太平洋戦争が始まる。外相・東郷茂徳が宣戦布告、陸軍次官・木村兵太郎、海軍の山口多聞も開戦時に主要ポストにあった。
- 戦争 昭和 1942 年 6/5
ミッドウェー海戦
米空母艦載機の急降下爆撃で日本機動部隊の主力 4 空母(赤城・加賀・蒼龍・飛龍)を喪失。第二航空戦隊司令官・山口多聞が飛龍と運命を共にした太平洋戦争の転回点。
- 内閣 昭和 1944 年 7/22
小磯国昭内閣成立
サイパン陥落の責任を取り東條英機内閣が総辞職、朝鮮総督・小磯国昭が第 41 代総理大臣として組閣。レイテ沖海戦・沖縄戦と戦況悪化の中で終戦工作を模索する。
- 戦争 昭和 1945 年 3/22
硫黄島の戦い(西竹一戦死)
ロサンゼルス五輪馬術金メダリスト「バロン西」こと西竹一中佐が硫黄島で戦死。米軍も「あの西なら投降を呼びかけよ」と特別待遇した名将の最期。
- 戦争 昭和 1945 年 4/1
沖縄戦(米軍沖縄本島上陸)
米軍主力第十軍十八万が沖縄本島中部西海岸に上陸を開始。第三十二軍司令官牛島満中将率いる日本軍は本島南部で持久戦を展開し、六月二十三日の組織的戦闘終結まで八十二日間継続。住民を含め二十万人以上が犠牲となった日本本土上の唯一の地上戦であった。
- 戦争 昭和 1945 年 8/15
終戦詔書(玉音放送)
昭和天皇のラジオ放送で日本のポツダム宣言受諾が国民に伝えられ、太平洋戦争が終結。終戦時外相・東郷茂徳、鈴木貫太郎内閣情報局総裁・緒方竹虎が終戦工作の中核を担った。
- 事件 昭和 1946 年 5/3
東京裁判開廷(極東国際軍事裁判)
連合国が日本の戦争指導者 28 名を「平和に対する罪」で裁いた極東国際軍事裁判。1946 年 5 月に市ヶ谷で開廷し、2 年半の公判を経て 1948 年 11 月に判決が言い渡された。
- 社会 昭和 1946 年 11/3
日本国憲法公布
第一次吉田茂内閣下で日本国憲法が公布(施行は翌昭和二十二年五月三日)。GHQ草案を骨格に大日本帝国憲法を全面改正し、国民主権・基本的人権の尊重・戦争放棄の三大原則を掲げる近代立憲主義国家の基本法が誕生した。
- 事件 昭和 1948 年 12/23
A 級戦犯死刑執行
東京裁判で死刑判決を受けた東條英機・木村兵太郎ら 7 名が巣鴨拘置所で絞首刑に処された。皇太子(現上皇)15 歳の誕生日に執行された日。
- 戦争 昭和 1950 年 6/25
朝鮮戦争勃発
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)軍が三十八度線を越えて大韓民国に侵攻し、朝鮮戦争が勃発。米軍中心の国連軍と中国人民義勇軍も参戦する東アジア最大の冷戦熱戦となり、占領下の日本は警察予備隊創設・特需景気で戦後復興の転換点を迎えた。
- 条約 昭和 1952 年 4/28
サンフランシスコ平和条約発効
前年(1951 年)9 月 8 日に調印された対日講和条約が発効、連合国軍占領が終わり日本が主権を回復。宮澤喜一は若手随員として 1951 年調印式に参加していた。
- 事件 昭和 1960 年 5/19
六〇年安保闘争(新安保条約強行採決)
岸信介内閣が新日米安全保障条約を衆議院本会議で強行採決。これに抗議する空前の市民運動が国会を連日包囲し、六月十五日の樺美智子死亡、十九日の自然成立、二十三日の岸内閣総辞職へ。戦後最大の政治闘争となり、池田勇人内閣の所得倍増路線へ転換する分岐点となった。
- 内閣 昭和 1960 年 12/27
国民所得倍増計画閣議決定
池田勇人内閣が「10 年で国民所得を倍増させる」計画を閣議決定。実際には 7 年で達成、戦後日本の高度経済成長の象徴的な政策となった。
- 社会 昭和 1964 年 10/10
東京オリンピック開会
アジア初の夏季オリンピックが東京・国立競技場で開会。池田勇人首相の最後の大きな公務、戦後日本の復興を世界に示す象徴的な大会となった。