E V E N T

高峰譲吉、世界初のアドレナリン結晶単離


ニューヨーク在住の応用化学者・高峰譲吉が、共同研究者・上中啓三とともに、副腎髄質ホルモン「アドレナリン(エピネフリン)」を世界で初めて純粋結晶として単離。日本人初の世界的医学化学発見で、近代内分泌学・救急医学の基礎となった。

アドレナリン(エピネフリン)の化学構造式
アドレナリン(エピネフリン)の化学構造式 Roland Mattern / Wikimedia Commons / Public domain
日付
カテゴリ
社会

日本人初の世界的医学化学発見

明治三十三年(一九〇〇)七月二十一日、米国ニューヨーク在住の日本人応用化学者・高峰譲吉(たかみねじょうきち)は、助手として渡米していた化学者・上中啓三(うえなかけいぞう)とともに、ウシ副腎髄質から抽出した粗製ホルモン液を精製し、純粋な結晶として単離することに世界で初めて成功した。命名は「アドレナリン(Adrenalin)」。後の国際一般名「エピネフリン(epinephrine)」と同一物質であり、現代の救急医療における心停止治療・アナフィラキシーショック対応の第一選択薬として、いまなお世界中で使用される基幹薬剤である。日本人による医学化学分野での初の世界的発見として、近代日本科学史を画する事件であった。

背景 — 加賀藩医の子・タカジアスターゼ発明

高峰譲吉は嘉永七年(一八五四)、加賀藩の御典医・高峰精一の長男として越中高岡に生まれた。工部大学校(現・東京大学工学部)で応用化学を学び、明治十三年(一八八〇)からはグラスゴー大学・アンダーソン大学に留学。帰国後は農商務省で人造肥料・醸造改良に従事し、明治二十年(一八八七)に渋沢栄一・益田孝らの支援で東京人造肥料会社(現・日産化学)を設立した。明治二十三年(一八九〇)に渡米。シカゴで麹菌から消化酵素を抽出する研究に着手し、明治二十七年(一八九四)、世界初の微生物由来消化酵素製剤「タカジアスターゼ(Taka-Diastase)」を発明。米国製薬大手パーク・デイビス社と独占契約を結び、世界中で大ベストセラー医薬品となった。これにより米国で巨万の富と科学者としての名声を獲得した。

アドレナリン単離 — 19 世紀末の未解決問題

副腎髄質に強力な昇圧物質が存在することは、十九世紀末から複数の研究者(英国のオリヴァー・シェーファー、米国のエイベル、ボストン医大のフュルト)によって示唆されていたが、いずれも不安定な粗抽出物にとどまり、純粋結晶の単離には至っていなかった。明治三十三年(一九〇〇)初頭、高峰はパーク・デイビス社の依頼を受けてこの未解決問題に着手。上中啓三は助手としてニューヨーク市西部の高峰実験室で連日連夜の精製作業に取り組み、七月二十一日、純粋なアドレナリン結晶の取得に成功した。結晶は針状で、極めて微量で強力な血圧上昇作用を示した。翌一九〇一年に高峰名義で米国特許が出願・登録され(US Patent 730,176)、パーク・デイビス社が「Adrenalin」の商品名で発売した。

影響 — 内分泌学と救急医療の基礎

アドレナリンの結晶単離は、人類が初めて純粋な形で取り出したホルモンであり、近代内分泌学の出発点となった。これを契機にインスリン(一九二一)・チロキシン(一九一四)など各種ホルモンの単離が連鎖的に進み、二十世紀医学の主柱の一つである内分泌学が成立する。同時に医療現場では止血剤・喘息発作治療・心停止蘇生・アナフィラキシーショック治療の必須薬として直ちに普及した。一九〇四年にはドイツのフリードリヒ・シュトルツが化学合成に成功し、世界初の合成ホルモン製剤としても歴史に名を刻んだ。

顕彰と現代医療における意義

高峰譲吉は本発見と先行するタカジアスターゼによって、明治期日本における「応用化学の祖」「日本初の世界的科学者」として神話的地位を獲得した。日米友好の象徴として一九一二年にワシントンへ桜並木(ポトマック河畔の有名な桜)を寄贈したのも高峰である。大正十一年(一九二二)にニューヨークで死去、本霊園に葬られた。なお、上中啓三が残した実験ノートが二〇〇〇年に再発見され、結晶取得日が七月二十一日と確定したことで、長年「先取権論争」(米国のエイベル説 vs 高峰説)の対象であった発見者問題に終止符が打たれた。アドレナリンは現在も WHO 必須医薬品リスト掲載薬として世界中の救急現場で使用され、高峰の名は近代医療の根底に刻まれている。

参考資料

← 事件一覧に戻る