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日本国憲法公布


第一次吉田茂内閣下で日本国憲法が公布(施行は翌昭和二十二年五月三日)。GHQ草案を骨格に大日本帝国憲法を全面改正し、国民主権・基本的人権の尊重・戦争放棄の三大原則を掲げる近代立憲主義国家の基本法が誕生した。

Constitution of Japan origin signatures 20140506
Constitution of Japan origin signatures 20140506 Ryo FUKAsawa / Wikimedia Commons / CC BY 2.0
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社会

明治憲法から日本国憲法へ

昭和二十一年(一九四六)十一月三日、日本国憲法が公布された。施行は翌昭和二十二年五月三日。前文は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と謳う。大日本帝国憲法(明治二十二年公布)が天皇主権・臣民の権利を恩賜と位置付ける欽定憲法であったのに対し、日本国憲法は国民主権を基本原理とする民定憲法であり、両者の性格は根本的に異なる。

背景 — ポツダム宣言受諾とGHQの民主化指令

憲法改正の出発点は昭和二十年八月十四日のポツダム宣言受諾にあった。同宣言第十項は「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ」と要求しており、明治憲法体制の根本的改編は連合国占領の至上命令であった。幣原喜重郎内閣は松本烝治国務相を中心に憲法問題調査委員会(松本委員会)を設置し改正案を起草したが、その内容が天皇統治権を温存する保守的なものに留まったため、GHQはマッカーサー三原則(天皇制存置・戦争放棄・封建制廃止)を骨格とする草案(マッカーサー草案、一九四六年二月十三日)を日本政府に提示した。

経過 — 帝国議会での審議と公布

マッカーサー草案を基に日本政府が手を加えた政府原案は、昭和二十一年三月六日に発表された。同年四月の戦後初の総選挙(婦人参政権付与後初の選挙)後に成立した第一次吉田茂内閣の下で、第九十回帝国議会に提出された。大日本帝国憲法第七十三条の改正手続きに従い、衆議院で四百二十一対八、貴族院で二百九十八対二の圧倒的賛成で可決。十一月三日に明治節(明治天皇誕生日)に合わせて公布された。施行日が翌年五月三日に設定された半年の準備期間中に、地方自治法・国会法・内閣法・裁判所法・刑事訴訟法など、新憲法体制を支える各法律が次々に制定されていった。

影響 — 戦後日本の基本枠組みの確立

日本国憲法は施行から七十年余を経た現在まで一度も改正されることなく、戦後日本の政治・社会・経済の基本枠組みを規定し続けている。第九条の戦争放棄条項は自衛隊の合憲性を巡る議論の核となり、八十年代以降の安保論争の焦点でもあり続けている。明治憲法発布から五十七年、日本国憲法公布から本稿執筆時点で八十年を数える。後者が前者を上回る長寿憲法となった事実そのものが、戦後日本のあり方を雄弁に物語っている。

参考資料

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