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国民所得倍増計画閣議決定


池田勇人内閣が「10 年で国民所得を倍増させる」計画を閣議決定。実際には 7 年で達成、戦後日本の高度経済成長の象徴的な政策となった。

国民所得倍増計画を策定した池田勇人首相(1962)
国民所得倍増計画を策定した池田勇人首相(1962) Wikimedia Commons / Public domain
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戦後日本の繁栄を約束した宰相の宣言

国民所得倍増計画閣議決定は、昭和 35 年(1960 年)12 月 27 日、池田勇人内閣が「昭和 36 年度から 10 年間で実質国民総生産(GNP)を 2 倍にする」という長期経済計画を正式に閣議決定した出来事である。

「貧しい日本」を「先進国の仲間入りする豊かな日本」へと跳躍させる象徴的な政策として、戦後日本の高度経済成長期(1955-73 年)の中心軸となった。「私はうそは申しません」を口癖にした池田勇人の最大の置き土産であり、戦後日本人の生活意識・社会構造を一新した政策である。

背景 — 60 年安保闘争と「政治の季節」の終わり

計画決定の前提には、激動の 1960 年夏が横たわっていた。

1960 年(昭和 35 年)5-6 月、岸信介内閣の日米安全保障条約改定を巡って、全国で空前の規模の反対運動が起きた(60 年安保闘争)。6 月 15 日には、東大生・樺美智子が国会議事堂前で死亡、社会党・総評・全学連の動員で連日 10 万人を超えるデモが続いた。

岸信介首相は新安保条約成立と引き換えに 6 月 23 日に退陣表明、7 月 14 日に総辞職した。後継首相選びの自民党総裁選挙では、池田勇人(宏池会)・石井光次郎(石井派)・藤山愛一郎(岸派)の三つ巴の戦いで池田が勝利、7 月 19 日に第 58 代内閣総理大臣に就任した。

池田は就任演説で「寛容と忍耐」を掲げ、「政治の季節から経済の季節への転換」を訴えた。激しい政治対立で疲弊した国民に向けて、経済成長で社会的分断を解消する道を提示する戦略だった。

下村理論と「もっと成長できる」確信

所得倍増計画の理論的基盤は、エコノミスト・下村治(大蔵省財政金融研究所長)の経済理論である。

戦後復興期(1945-55 年)を経て、日本経済は神武景気(1954-57)、岩戸景気(1958-61)と高度成長の入口にあった。1950 年代後半の経済企画庁長期計画では「年率 6.5%」が「精一杯」とされていた。

下村治はこれを「あまりに保守的」と批判。「日本経済はもっと潜在能力を持っている。年率 9-11% の成長は十分可能だ」と主張した。下村の理論的根拠は:

  1. 高い貯蓄率(20% 以上)による旺盛な民間投資の可能性
  2. 戦時下に蓄積された技術力と熟練労働力
  3. 米国からの技術導入による生産性の急上昇
  4. 太平洋ベルト地帯への重化学工業集積による外部経済効果

池田勇人は大蔵省時代から下村と親交があり、首相就任後ただちに下村理論を国家戦略に組み込んだ。経済企画庁長官・迫水久常を介して、長期計画策定の作業が急ピッチで進められた。

12 月 27 日 — 閣議決定

昭和 35 年(1960 年)12 月 27 日、第 1 次池田内閣で「国民所得倍増計画」が閣議決定された。

計画の骨子:

  • 目標: 昭和 36 年度から 45 年度までの 10 年間で、実質国民総生産を 2 倍に拡大
  • 成長率: 年平均 7.2%(実際の予測値は 11.6% で計算)
  • 総合的施策:
    • 社会資本(道路・港湾・空港)の整備
    • 産業構造の高度化(重化学工業中心へ)
    • 貿易と国際協力の推進
    • 人的能力の向上と科学技術の振興
    • 二重構造の緩和と社会的安定の確保

特に「太平洋ベルト地帯構想」(京浜・中京・阪神・北九州を連結する工業地帯)が中心軸として位置づけられた。

計画は閣議決定後、翌昭和 36 年(1961 年)に国会の予算審議を経て、各省庁の年次計画に組み込まれていった。

計画の達成 — 予想を上回るスピード

所得倍増計画は、その後の実績で世界の経済政策史に類を見ない成功を収めた:

実質 GNP(基準年比)
1960 年(基準)100
1965 年156
1968 年(7 年で達成)200
1970 年234

計画策定時に「10 年で 2 倍」と想定したものが、わずか 7 年で達成された。同期間の経済成長率は実績で年平均 10.7%、世界経済史上でも特異なペースだった。

達成の象徴的な出来事:

  • 1964 年 10 月 1 日: 東海道新幹線開業(東京 - 新大阪、4 時間)
  • 1964 年 10 月 10 日: 東京オリンピック開会
  • 1964 年: 名神高速道路開通(尼崎-栗東)
  • 1968 年: 日本の GNP が西ドイツを抜き、米国に次ぐ世界第 2 位に
  • 1969 年: 東名高速道路全通(東京-名古屋)
  • 1970 年: 大阪万博(EXPO’70)、77 か国が参加、入場者 6,400 万人

「もはや戦後ではない」(経済白書 1956 年)から「世界 2 位の経済大国」への跳躍が、所得倍増計画期の 10 年で実現した。

国民生活の変貌

経済指標だけでなく、国民生活の質的変化も劇的だった:

1. 「三種の神器」から「3C」へ

  • 1960 年頃: 白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫(三種の神器)が普及
  • 1965 年頃: カラーテレビ・クーラー・カー(3C)が新たな憧れに

2. 都市化の急進

  • 1960 年代に農村から都市への大規模移動、東京・大阪・名古屋への集中
  • 団地・マンションの大量建設、サラリーマン家庭の標準化

3. 中流意識の確立

  • 1970 年「国民生活に関する世論調査」で「中流」と自認する人が 9 割を超える
  • 「一億総中流」の時代へ

4. 食生活の西洋化

  • 米中心から肉・乳製品・パン中心の食事への変化
  • 1970 年: 大阪万博で「ファストフード」がブームに

池田勇人の退陣と佐藤栄作への継承

計画達成の途上、池田勇人は喉頭がんを発病。1964 年(昭和 39 年)10 月 25 日、東京オリンピック閉会の翌日に退陣を表明、佐藤栄作が後継首相に就任した。

池田は退陣 9 か月後の昭和 40 年(1965 年)8 月 13 日に死去、享年 65。所得倍増計画の達成を見届けることなく世を去ったが、計画は佐藤内閣に継承され、最終的に当初目標を大きく上回って達成された。

歴史的影響

1. 戦後日本の経済モデルの確立

「政府による長期的展望提示 + 民間の旺盛な投資 + 高い教育水準と勤勉な労働力 + 米国市場へのアクセス」という戦後日本の経済成長モデルが、所得倍増計画期に確立された。これは後の韓国・台湾・シンガポール・中国の「東アジアの奇跡」のプロトタイプとなった。

2. 「経済の池田 / 政治の岸」の対比

戦後保守政治の中で、岸信介(60 年安保)と池田勇人(所得倍増)は対極的なリーダーシップの 2 タイプとして語られ続けてきた。池田の「経済優先 + 政治対立の回避」路線は、大平正芳・宮澤喜一(本霊園に眠る)へと続く宏池会の政治哲学の原型となった。

3. 高度成長の影 — 公害・過密化

経済成長の代償も大きかった:

  • 1956 年水俣病公認、1965 年新潟水俣病、1968 年イタイイタイ病・四日市ぜんそく — 公害病が社会問題化
  • 東京・大阪の過密化、住宅難、通勤地獄
  • 農村過疎化と地域格差
  • 1973 年オイルショックで「成長の限界」が初めて意識される

これらは 1970 年代以降の田中角栄の「日本列島改造論」、福田赳夫の「安定成長路線」、大平正芳の「総合安全保障」など、後の自民党政策の課題となっていく。

4. 戦後民主主義の物質的基盤

戦後日本の民主主義が定着した最大の要因の一つは、所得倍増計画期の経済成長による中流階級の形成だった。「豊かさ」が政治的安定の基盤となる構造が、この時期に確立した。1960 年代以降、日本では他の先進国に比べて極めて穏健な政党政治が続いた背景にも、この計画の成果がある。

関連する偉人とその役割

池田 勇人(第 58-60 代総理大臣)

広島県出身、京都帝大→大蔵省。戦前は地方税務署長から本省へと出世、戦後は片山内閣の大蔵次官に抜擢された官僚。1949 年(昭和 24 年)第 24 回衆議院議員選挙で初当選、吉田茂内閣で大蔵大臣・通産大臣を歴任。

60 年安保闘争で岸退陣を受けて 1960 年 7 月、第 58 代総理大臣に就任。「私はうそは申しません」「寛容と忍耐」を掲げ、「経済の季節」を演出した。所得倍増計画は彼の宰相としての中心政策であり、最大の遺産である。

東京オリンピック開会式に首相として出席、その直後の 1964 年 10 月に喉頭がんで退陣、翌年 8 月没。享年 65。本霊園 1種イ 1 号 26 側に眠る。

関連する作品

  • 沢木耕太郎『危機の宰相』(魁星出版、2006 年) — 池田勇人と下村治・田村敏雄(政策秘書)を軸に所得倍増計画の意思決定過程を再構成したノンフィクション
  • NHK 大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(2019 年) — 池田勇人(松重豊)を含む 60 年代日本を描く、東京オリンピック開会式の場面が中心
  • 司馬遼太郎『街道をゆく — 越前の諸道』池田勇人の故郷・広島県竹原市の章で、池田の人物像を描く
  • 保阪正康『池田勇人 — 所得倍増』(中公新書) — 評伝として戦後保守政治史の中の池田を分析

東京・東京駅前丸の内オアゾの「OO クロック」、東海道新幹線、首都高速、東京タワー(1958 年、所得倍増計画直前) — 高度成長期に建設された施設の多くが、現在も東京の顔として残る。竹原市(広島)の池田勇人記念館では、池田の遺品・所得倍増計画関連資料が展示されている。

参考資料

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