犬養 毅

いぬかい つよし(Inukai Tsuyoshi)

犬養 毅の肖像
犬養 毅の肖像 Wikimedia Commons / Public Domain
生没年1855-06-04 〜 1932-05-15
時代大正・昭和
分野政治家
墓所区画1種ロ8号1・14側
タグ内閣総理大臣 / 立憲政友会 / 五・一五事件 / 憲政の神様

「話せばわかる」と言って撃たれた首相

犬養毅は、第 29 代内閣総理大臣。立憲政友会総裁にして、尾崎行雄とともに「憲政の神様」と呼ばれた、戦前日本議会政治の象徴的存在である。

明治 23 年(1890 年)の第 1 回衆議院議員総選挙から五・一五事件まで、連続 18 回当選という前例のない記録を持つ。明治・大正・昭和の三時代にわたって帝国議会の議席に座り続け、第一次護憲運動(1912-1913 年)で桂太郎内閣を倒し、第二次護憲運動(1924 年)で清浦奎吾内閣を倒すなど、政党政治の節目に必ず先頭に立った人物だった。

そして昭和 7 年(1932 年)5 月 15 日、海軍青年将校らに首相官邸を襲撃され、銃撃を受けて死去。享年 76。襲撃直前、犬養が将校らに発したとされる「話せばわかる」、そして将校らが応えたとされる「問答無用」のやりとりは、戦前日本の議会政治が暴力に屈した瞬間として教科書にも刻まれている。五・一五事件は政党内閣制の終焉を象徴する事件となり、以後の日本は軍部主導の体制へと加速していった。

岡山県の犬養木堂記念館を訪れた人なら知っているように、犬養は「木堂」の号で漢詩・書道にも親しんだ文人政治家でもあった。号は犬養が遺した数千点の書とともに、現在も愛好家の手で大切にされている。

慶應義塾、新聞記者、そして政界へ

安政 2 年(1855 年)、備中国賀陽郡庭瀬村(現・岡山県岡山市北区川入)に庭瀬藩士の家に生まれる。明治期、福澤諭吉の慶應義塾で学び、郵便報知新聞の記者として西南戦争に従軍。記者として磨いた論争術と、慶應で受けた福澤の自立独立の思想が、犬養の政治家としての地金となった。

明治 15 年(1882 年)、大隈重信の立憲改進党結党に参加して政界入り。以後、立憲改進党 → 進歩党 → 憲政本党 → 立憲国民党 → 革新倶楽部 → 立憲政友会と、党名は変わっても常に在野・改進系の議会人として行動した。「政府に媚びない」 — それが犬養の政党人としての一貫した姿勢だった。

二度の護憲運動

大正元年(1912 年)、第三次桂太郎内閣の成立を受けて起こった第一次護憲運動。「閥族打破・憲政擁護」をスローガンに、犬養と尾崎行雄が議会演説で先頭に立った。両者の演説は連夜の民衆動員を呼び、大正 2 年(1913 年)、桂内閣はわずか 53 日で総辞職に追い込まれた。この事件で犬養と尾崎は「憲政の神様」「議会政治の神様」と呼ばれるようになる。

大正 13 年(1924 年)、貴族院中心の超然内閣・清浦奎吾内閣に対する第二次護憲運動でも、犬養は革新倶楽部総裁として、加藤高明(憲政会)・高橋是清(政友会)とともに「護憲三派」を組織。総選挙に勝利し、加藤高明内閣の成立をもたらした。普通選挙法(1925 年)はこの加藤内閣で成立する。犬養の名は、男子普通選挙の実現にも結びついている。

首相に就任、そして「問答無用」

昭和 4 年(1929 年)、田中義一の死去を受けて立憲政友会総裁に就任。昭和 6 年(1931 年)12 月、満州事変下で若槻禮次郎内閣の総辞職を受けて、犬養は 76 歳で第 29 代内閣総理大臣となった。蔵相に高橋是清を起用し、ただちに金輸出再禁止を断行(井上財政の逆走)。積極財政に転じて昭和恐慌からの脱却に道筋をつけた。

しかし軍部の独走は止まらなかった。満州事変は拡大を続け、犬養が満州国独立の事後承認に難色を示すと、軍部と右翼の犬養への憎悪は急速に高まった。

昭和 7 年(1932 年)5 月 15 日午後 5 時半頃、海軍青年将校 9 名と陸軍士官候補生 4 名が首相官邸を襲撃。応接間で対峙した犬養は、銃口を向ける将校らに「話せばわかる」と語りかけ、座って話を聞く姿勢を示したと伝わる。将校らは「問答無用、撃て」と応じて発砲。犬養は腹部・頭部に銃弾を受け、翌 16 日未明に死去した。享年 76。

このやりとり自体は襲撃を生き延びた家人・関係者の証言に基づくもので、細部には諸説あるが、「対話で軍人を翻意させようとした政治家と、対話を拒否した青年将校」という構図は、戦前期日本が抱えた病巣を一文で言い当てている。

青山霊園に眠る

犬養毅の墓は、青山霊園 1種ロ8号1・14側。同じ「1種ロ8号」の区画には、加藤高明、浜口雄幸、井上準之助、牧野伸顕など、大正末から昭和初期の政党政治家たちが集まる。共に普通選挙制・政党内閣制を作り上げ、そしてテロと軍部の台頭でその時代を奪われていった人々である。

郷里・岡山市には犬養木堂記念館があり、政治家・書家・文人としての犬養の足跡を伝えている。

墓所の位置

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参考資料

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