紀尾井坂の変(大久保利通暗殺)
内務卿・大久保利通が登城途中に紀尾井坂で石川県士族・島田一郎ら 6 名に襲撃され暗殺。維新三傑が全て世を去った瞬間。
維新三傑の最後を飾った暗殺
紀尾井坂の変は、明治 11 年(1878 年)5 月 14 日朝、内務卿・大久保利通が赤坂仮皇居へ出仕する途中、紀尾井町・清水谷で石川県士族・島田一郎を首魁とする 6 名の不平士族に襲撃され、暗殺された事件である。
維新の三傑と呼ばれた西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通のうち、木戸は前年(明治 10 年)5 月病死、西郷は同年 9 月に城山で自刃、そして大久保は本事件で凶刃に倒れた。維新を主導した 3 人が、わずか 1 年の間にすべて世を去ったことになる。明治政府の創設世代の終焉と、伊藤博文・山県有朋ら次世代への権力移行の起点になった事件である。
背景 — 西南戦争後の不平士族の鬱屈
明治政府は、版籍奉還(明治 2 年)・廃藩置県(明治 4 年)・徴兵令(明治 6 年)・地租改正(明治 6 年)・廃刀令(明治 9 年)・秩禄処分(明治 9 年)と、武士階級の特権を次々と解体してきた。これに反発した士族たちは、佐賀の乱(明治 7 年)、神風連の乱(明治 9 年)、秋月の乱・萩の乱(明治 9 年)と各地で反乱を起こすが、いずれも鎮圧された。
最後の大反乱が西南戦争(明治 10 年)である。西郷隆盛を担いだ薩摩士族 1 万 4,000 が政府軍と戦い、9 月 24 日の城山で西郷が自刃して終結。しかし、戦死した薩摩士族の遺族や、戦争に参加できなかった他地域の士族たちの怨念は残り続けた。
特に石川県(加賀藩)の旧士族たちは、明治政府への怒りを募らせていた。島田一郎(当時 30 歳)・長連豪・杉本乙菊らは、東京で同志を募り、「大久保斬奸状」を密かに準備、紀尾井坂で大久保が登城する朝を狙うことを決めた。
明治 11 年 5 月 14 日朝 — 紀尾井坂
明治 11 年(1878 年)5 月 14 日、火曜日。大久保は当時 47 歳、内務卿として明治政府の最高権力者の地位にあった。
午前 8 時、大久保は麹町の自邸を馬車で出発、赤坂仮皇居へ出仕する道中にあった。馬車は紀尾井町の清水谷(現在の清水谷公園付近)にさしかかる。御者は中村太郎、護衛は付いていなかった。
清水谷の坂を下りる馬車を、6 名の襲撃者が物陰から狙い、一斉に斬りかかった。最初の刃で御者・中村太郎が即死、馬車は止まる。大久保は車内から引きずり出され、複数の刃で頭部・首・腹を斬られ、その場で絶命した。享年 47。
事件は午前 8 時 30 分頃に終わった。襲撃者 6 名は逃走せず、そのまま赤坂仮皇居に出頭、所持していた斬奸状を提出して自首した。斬奸状には、大久保政治を「有司専制」と糾弾する 18 世紀風の漢文調の文言が並んでいた。
襲撃者の処分と動機
6 名は同年 7 月に裁判を受け、全員に斬罪(死刑)が宣告された。彼らの主張は「政府が士族の権利を侵し、国民を貧しくしている。大久保はその責任者である」という不平士族の論理だった。
斬奸状の論点:
- 国会を開かず、専制政治を行っている
- 法令を朝令暮改で変更し、人民を翻弄している
- 不必要な土木事業に国費を浪費している
- 外交で弱腰、不平等条約を改正できていない
- 西南戦争で同じ薩摩の同志を討った
これらの批判は、後の自由民権運動の論点とも重なる部分があり、単純な「不平士族の逆恨み」では説明しきれない政治的意味を持っていた。
大久保の遺品 — 暗殺前夜の手紙
大久保は事件前夜、子供たちに宛てた手紙と遺言書を書いていた。襲撃時、馬車内には西郷隆盛から大久保に宛てた書簡が懐に入っていたとされる。盟友・西郷との決裂と西南戦争を経た後、大久保が西郷を懐かしんでいた証拠として、後の歴史家が好んで取り上げる逸話である。
歴史的影響
1. 維新三傑の終焉
明治 11 年 5 月の時点で、維新を主導した三傑(西郷・木戸・大久保)は全員世を去った。明治政府の指導は、伊藤博文・山県有朋・井上馨・大隈重信ら次世代の元勲に引き継がれていく。維新世代から元勲世代への権力移行の起点である。
2. 内務省という巨大官庁の継承
大久保が一手に設計した内務省は、暗殺後も明治政府の中央集権体制の中核として機能し続けた。地方制度・警察・殖産興業の三本柱は、戦後 GHQ の解体に至るまで内務省を「最強官庁」たらしめた。
3. 不平士族の武力闘争の終わり
紀尾井坂の変を最後に、士族による組織的な武力闘争はほぼ姿を消す。以後の反政府運動は、板垣退助の自由民権運動(国会開設要求)のような議会主義的・言論主義的方向へと進んだ。
4. 暗殺政治の系譜
桜田門外の変(井伊直弼)→ 大村益次郎暗殺(明治 2 年)→ 紀尾井坂の変(大久保) → 大隈重信遭難(明治 22 年)→ 星亨暗殺(明治 34 年)→ 浜口雄幸狙撃(昭和 5 年)→ 5.15 事件(犬養毅)→ 2.26 事件 — 政治家への暗殺・襲撃は、明治・大正・昭和を通じて日本政治の負の伝統となった。
関連する偉人とその役割
大久保 利通(本人)
維新三傑の一人。薩摩藩の下級藩士の家から立ち上がり、明治政府の初代内務卿として、廃藩置県後の地方制度・地租改正・殖産興業・警察制度を一手に設計した近代日本最大の政治家。
岩倉使節団でビスマルクと会見して以来、強烈な「国家を作る」意識を持ち、強引な手法で改革を推進した。盟友・西郷を西南戦争で討つことになっても、内治優先の方針を曲げなかった。明治 11 年 5 月 14 日、47 歳で凶刃に倒れる。
本霊園 1種イ 2 号 15 側に眠る。襲撃時に殉死した御者・中村太郎の墓も大久保の墓所内に並んで建てられている。
関連する作品
- 司馬遼太郎『翔ぶが如く』(1972-76 年連載、文藝春秋) — 大久保利通と西郷隆盛を中心に、明治維新から西南戦争・紀尾井坂の変までを描いた全 10 巻の大長編
- NHK 大河ドラマ『翔ぶが如く』(1990 年、緒形拳が大久保を演じる) — 司馬遼太郎の小説を原作とした映像化
- NHK 大河ドラマ『西郷どん』(2018 年、瑛太が大久保を演じる) — 大久保視点での明治国家建設を描く
東京・千代田区紀尾井町の清水谷公園には、明治 21 年(1888 年)に建立された「贈右大臣大久保公哀悼碑」が現存。襲撃地の正確な位置を示す石碑として、今も多くの人が足を止める。福島県郡山市には、安積疏水を開削した大久保を祀る「大久保神社」もある。