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満州事変(柳条湖事件)


関東軍参謀板垣征四郎・石原莞爾らが奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道線路を自ら爆破し、これを中国軍の仕業として軍事行動を開始。半年で満州全土を占領し翌年「満洲国」を建国した。日本の対外膨張路線が大陸戦争へ大きく踏み出した転換点となった。

Mukden 1931 blast spot
Mukden 1931 blast spot 関東軍関係者? / Wikimedia Commons / Public domain
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戦争

関東軍が自作自演した戦争の発端

昭和六年(一九三一)九月十八日午後十時二十分頃、奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された。爆破を実行したのは関東軍の河本末守中尉ら独立守備隊の将校で、関東軍参謀板垣征四郎大佐・石原莞爾中佐の計画に基づく自作自演であった。関東軍はこれを中国東北軍(張学良軍)の仕業として直ちに軍事行動を開始し、奉天城を一夜で占領。若槻礼次郎民政党内閣の不拡大方針を無視し、わずか五か月で満州全土(現中国東北部三省)を占領する電撃作戦を成し遂げた。日本史において一九三一年九月十八日は「十五年戦争」の起点と位置付けられる重要な一日である。

背景 — 満蒙特殊権益と関東軍の独走

満州事変の遠因は日露戦争にあった。日本はポーツマス条約(一九〇五)で関東州租借権と南満州鉄道の経営権を獲得し、これを「満蒙特殊権益」と称して死守の対象としていた。一九二〇年代後半、中国では国民党による国家統一が進み、東三省の張学良も国民政府への帰順(易幟、一九二八)を行って中央政権と統合された。日本の権益はますます中国ナショナリズムの圧力に晒されることとなり、関東軍内部では「武力で満州を切り離し、日本の傀儡国家とすべし」という急進論が高まっていた。石原莞爾の『世界最終戦論』は満州領有を対米最終戦争に備える戦略的必須事項と位置付けた。

経過 — 満洲国建国と国際連盟の不承認

事変後、関東軍は半年で満州全土を制圧。昭和七年(一九三二)三月一日、清朝最後の皇帝溥儀を執政(後に皇帝)とする「満洲国」を建国した。国際連盟は中国の提訴を受けてリットン調査団を派遣し、一九三二年十月に報告書を提出。報告書は満州事変を侵略と認定しつつ、日本の特殊権益も認めて妥協的解決を提案するものであった。だが日本は満洲国の独立と承認を譲らず、一九三三年二月の国際連盟臨時総会で四十二対一(反対は日本のみ、棄権一)で満洲国不承認決議が採択されると、三月二十七日に国際連盟脱退を通告した。日本は国際秩序からの完全離脱の道を選択した。

影響 — 政党政治の終焉と軍部独走の固定化

満州事変は単なる軍事行動を超えて、日本の政治体制を根底から変質させた。若槻民政党内閣は関東軍の独走を制御できず総辞職、続く犬養政友会内閣も五・一五事件(一九三二年五月)で犬養首相暗殺により崩壊。以後の政党政治は事実上終焉し、軍部主導の挙国一致内閣が常態化した。二年後の国際連盟脱退、五年後の二・二六事件、六年後の日中戦争開戦、十年後の太平洋戦争へと続く「十五年戦争」の第一日目として、現代日本史の最重要転換点の一つに位置付けられる。

参考資料

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