井上準之助暗殺(血盟団事件)
前蔵相・井上準之助が東京・本郷で血盟団員・小沼正に銃撃され死亡。続く 3 月の団琢磨暗殺と合わせて、昭和初期テロリズムの幕開けとなった。
「一人一殺」が政財界を撃った
血盟団事件は、昭和 7 年(1932 年)2 月から 3 月にかけて、日蓮宗系右翼の指導者・井上日召(いのうえ にっしょう)率いる血盟団員が「一人一殺」を掲げ、政財界の指導者を順に暗殺した連続テロ事件である。最初の犠牲者となったのが、前大蔵大臣・井上準之助。昭和 7 年 2 月 9 日午後 6 時 50 分頃、東京・本郷の駒本小学校門前で銃撃され、その場で死亡した。享年 62。
事件の直接の引き金は、井上日召が想定した「腐敗した政財界が国を毀している」という認識である。世界恐慌と昭和恐慌の中、農村の疲弊が極限に達する一方で都市の富裕層は栄えている、というギャップへの怒りが、若い農村青年たちを血盟団に集めた。前年(昭和 5 年)の浜口雄幸狙撃に続く、昭和初期テロリズムの第二波であった。
井上準之助暗殺の 1 か月後、3 月 5 日には三井合名理事長・団琢磨が日本橋・三井本館前で射殺。「政界の井上、財界の団」 — 戦前日本の経済政策と財閥支配の頂点にいた二人が、ほぼ同じ手法で立て続けに殺害された。
背景 — 金解禁の傷と農村の疲弊
事件の遠因は、井上準之助自身が浜口雄幸内閣の蔵相として断行した金解禁(昭和 5 年 1 月 11 日)にある。旧平価による金本位制復帰は経済理論としては合理的だったが、折からの世界恐慌と重なって日本経済を激しいデフレに突き落とした。
特に農村部の打撃は甚大だった。生糸価格暴落で東北の養蚕農家が壊滅、娘の身売り・欠食児童・夜逃げが社会問題化した。「資本家を富ませ農民を殺す」という井上財政への怨嗟は、昭和 6 年(1931 年)末の犬養毅内閣による金輸出再禁止(高橋是清蔵相)で井上財政が公式に否定された後も、農村青年の間で消えなかった。
茨城県大洗の立正護国堂を拠点に活動していた井上日召は、戦前期の宗教的右翼の代表的人物。彼は「現状打破には個別テロの積み重ねが必要だ」と説き、農村出身の青年・小沼正(おぬま しょう、当時 21 歳)・菱沼五郎ら 14 名に標的暗殺を指示。標的リストには井上準之助・団琢磨・若槻禮次郎・牧野伸顕・西園寺公望・幣原喜重郎など、政財界・宮中の中枢が並んでいた。
昭和 7 年 2 月 9 日 — 駒本小学校門前
事件当日、井上準之助は前年末に成立した犬養毅内閣の総選挙を巡る立憲民政党の応援演説のため、東京・本郷の駒本小学校に向かっていた。野党に下ったとはいえ、井上は民政党の幹事長として依然として政界の中心人物だった。
午後 6 時 50 分頃、井上が校門前に現れた瞬間、闇に潜んでいた小沼正が至近距離から拳銃を発射。腹部・胸部に銃弾を受けた井上はその場に崩れ落ち、即死に近い状態で命を絶った。小沼はその場で取り押さえられ、警察に引き渡された。
1 か月後の 3 月 5 日、菱沼五郎が三井合名理事長・団琢磨を日本橋三井本館前で同様に射殺。続いて 3 月 11 日、井上日召が自首し、計 14 名の血盟団員が一斉に逮捕された。標的にされていた若槻禮次郎・牧野伸顕らは難を逃れた。
裁判と「義挙」論
血盟団員の裁判は東京地裁で進められ、首魁・井上日召は無期懲役、実行犯の小沼・菱沼も無期懲役、他は有期刑となった(後にいずれも減刑・恩赦で釈放)。
注目すべきは、検察・裁判官・世論のいずれもが、被告らの「動機の純粋さ」を強調したことである。新聞は血盟団を「腐敗した政財界に憤った憂国の青年」と報じ、減刑嘆願書には数十万の署名が集まった。「政治家・財界人は腐敗、青年・農民は純粋」という世論構造が、ここで明確に表れた。同じ構造はその 3 か月後の五・一五事件、4 年後の二・二六事件へと引き継がれていく。
歴史的影響
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テロの連鎖の起点 — 浜口狙撃(1930 年 11 月)→ 井上暗殺(1932 年 2 月)→ 団琢磨暗殺(同 3 月)→ 五・一五事件・犬養毅暗殺(同 5 月)→ 二・二六事件(1936 年 2 月)と、戦前政党政治の中枢を倒すテロが連鎖的に続いた。井上事件はその制度的入口にあたる。
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「井上財政」の歴史的決算 — 金解禁の是非を巡る議論は事件後ほぼ封印され、高橋是清の積極財政路線が定着。井上が貫こうとした「規律ある国際金融への参加」は、戦時統制経済へと完全に取って代わられた。
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政党政治の自信喪失 — 民政党は事実上の領袖を失い、3 か月後の五・一五事件で政友会も総裁・犬養毅を失う。二大政党制は急速に弱体化し、挙国一致内閣の時代へと移行していく。
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右翼テロの世論的正当化 — 「義挙」として遇された血盟団判決は、青年将校の決起を理論的に勇気づけた。五・一五事件の被告らは公判で血盟団被告に言及し、「我々もまた憂国の青年である」と主張した。世論の同情はこちらにも引き継がれた。
関連する偉人とその役割
井上 準之助(被害者 / 前大蔵大臣・元日銀総裁)
大分県日田出身、東京帝大法科を経て日本銀行に入り、横浜正金銀行頭取を経て大正 2 年(1913 年)に 44 歳の若さで日銀第 10 代総裁。浜口雄幸内閣の蔵相として金解禁を断行し、「井上財政」と総称される緊縮路線を主導した。
世界恐慌との重なりで政策は逆風となり、犬養内閣の高橋是清蔵相に逆走されて公的には否定された。野党・立憲民政党の幹事長として再起を期していた矢先、本郷駒本小学校門前で銃撃され死亡。享年 62。本霊園 1種ロ 8 号 1・14 側、盟友・浜口雄幸の墓のすぐ隣に眠る。東京駅で狙撃された浜口と血盟団に射殺された井上が、死してなお隣り合って葬られる配置となった。
関連する作品
- 城山三郎『男子の本懐』(新潮文庫、1980 年) — 浜口雄幸と井上準之助の二人を主人公に、金解禁とその政策的破綻を描いた評伝小説。井上の人物像を後世に決定づけた一冊
- 中島岳志『血盟団事件』(文藝春秋、2013 年) — 血盟団員の動機・宗教的背景を実証的に追跡した近年の代表的研究
- 保阪正康『昭和史の謎を追う』所収「血盟団と五・一五」 — 連続テロの構造的繋がりを分析
東京・文京区の駒本小学校(現存)の正門周辺は、当時の井上が倒れた場所を特定する資料に乏しいが、本郷台地の上に立つこの学校の門前に立つと、戦前日本のテロが現実の生活空間で行われたことの重みが伝わる。