渡辺 昇 (1838-1913)の肖像
渡辺 昇の肖像 Wikimedia Commons / Public Domain
P E R S O N

渡辺 昇

わたなべ のぼる

Watanabe Noboru

神道無念流の達人で「練兵館四天王」の一人。肥前大村藩出身、薩長同盟締結の橋渡しを担い、明治政府で警視総監・元老院議官を歴任、子爵。

生没年
出身地
肥前国大村(現・長崎県大村市)
死没地
東京
時代
江戸・明治
役職
警視総監・元老院議官
爵位
子爵
区画
1種イ12号4側
タグ
神道無念流 / 練兵館 / 薩長同盟 / 警視総監 / 大村藩 / 子爵

「練兵館四天王」 — 剣豪から警視総監へ

渡辺昇は、幕末の 神道無念流の達人で、江戸三大道場の一つ 練兵館(斎藤弥九郎の道場)の塾頭を務めた剣豪である。同時代の 桂小五郎(後の木戸孝允)・坂本龍馬・近藤勇らと剣の道で交わり、薩長同盟(1866 年)成立の橋渡し役の一人としても歴史に名を残す。

明治維新後は 大村藩家老から明治新政府に出仕、警視総監(明治 14-16 年)・元老院議官などを歴任。子爵に叙された。

「剣の達人 → 維新の志士 → 警察行政・元老院」という珍しい軌跡を歩んだ、幕末から明治の 多面的な人物である。

肥前大村藩士の家から、江戸の練兵館へ

天保 9 年(1838 年)3 月 24 日(陽暦 4 月 18 日)、肥前大村藩(現・長崎県大村市)の藩士・渡辺巌の次男として生まれる。大村藩は 2 万 7,000 石の小藩ながら、大村純熈藩主のもと早くから西洋技術を導入した進取的な藩であった。

少年期から剣才を発揮し、江戸に出て 練兵館(神道無念流・斎藤弥九郎の道場)に入門。桂小五郎(後の木戸孝允)・斎藤新太郎・伊地知正治(青山霊園 1種イ9号、本日追加)らと並ぶ 練兵館四天王の一人として、若くして塾頭を務めた。

剣技だけでなく、国事に対する見識でも周囲から認められ、長州藩の桂小五郎・坂本龍馬・薩摩の 西郷隆盛ら諸藩志士との交流ネットワークを築いた。

薩長同盟締結の橋渡し

慶応 2 年(1866 年)、薩長同盟締結に向けた水面下の交渉で、渡辺は 桂小五郎・西郷隆盛間の連絡役の一人として動いたとされる。坂本龍馬がよく知られているが、渡辺もまた 練兵館人脈を介して両藩を結ぶ非公式チャネルを提供した。

慶応 3 年(1867 年)の 大政奉還前後、渡辺は 大村藩家老として藩主・大村純熈の 討幕路線を取りまとめ、戊辰戦争(1868-69 年)では大村藩兵を率いて 奥羽戦線に出征。戦後の論功で大村藩の戊辰功労藩としての地位を確立した。

明治政府で警視総監・元老院議官

明治新政府発足後、渡辺は 大蔵省・内務省を経て、明治 14 年(1881 年)、第 4 代警視総監に就任(在任 1881-1883)。川路利良(初代大警視、青山霊園 1種イ4号で既登録)が初代を作り上げた 警視庁を、近代警察組織として安定化させる役割を担った。

警視総監時代には、自由民権運動の高まり(板垣退助・植木枝盛らの運動)への対応・条約改正交渉期の 東京の治安維持などを統括した。

明治 16 年(1883 年)以降、元老院議官・貴族院議員として国政に関与。明治 17 年(1884 年)、子爵に叙される。

大正 2 年 11 月 10 日、東京で逝去

大正 2 年(1913 年)11 月 10 日、東京で死去。享年 75。

葬儀は青山霊園に営まれた。

親族の著名人

逸話・エピソード

練兵館塾頭時代の桂小五郎との立ち合い

渡辺は練兵館で桂小五郎(後の木戸孝允)と稽古で対峙することがしばしばあった。桂は剣の腕も玄人級で、二人は塾頭を競う関係にあったが、稽古後は道場の片隅で天下国家を語り合う仲だったと伝わる。桂が長州藩を背負い、渡辺が大村藩の家老となって維新の動乱を別の藩から共に動かした原点は、この若き日の道場での対話にある。

警視総監時代の植木枝盛との対峙

警視総監時代の渡辺は、自由民権運動の急進派・植木枝盛らの取り締まりを統括する立場にあった。だが運動家への弾圧一辺倒ではなく、「議論で対抗できる思想ならば言論は許す、暴力に転じた時のみ取り締まる」という線引きを取ったと伝わる。剣の達人らしい、間合いを心得た治安行政だった。同じ青山霊園で渡辺と植木が近い区画(共に 1種イ)に眠る配置は、明治の権力と民権が同じ土に還ったことを示している。

青山霊園に眠る

渡辺昇の墓は、青山霊園 1種イ12号4側。同じ「1種イ12号」の区画には、平成の宰相・橋本龍太郎(4 側)、長与専斎(2 側、内務省衛生局長)が眠る。

幕末の 神道無念流の達人で、薩長同盟の橋渡しを担い、初期警視総監として明治の治安機構を支えた男が、平成の首相・橋本龍太郎と同区画に眠っている — 明治草創期と平成日本の橋渡し役が同じ墓所区画に並ぶ配置は、1種イ12号を 「警察・治安系の墓地」として象徴する配置となった(警視総監の渡辺昇・近代医療制度の長与専斎・首相の橋本龍太郎)。

「剣の道」から明治国家の 「警察の道」へ、そして 「政治の道」へと展開した渡辺の生涯は、近代日本の国家形成の多面性をそのまま体現している。

墓参り写真

  • 墓所

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墓所の位置

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参考資料

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