吉原 重俊
よしはら しげとし
Yoshihara Shigetoshi
日本銀行初代総裁。米国留学を経て大蔵省・大蔵卿松方正義の右腕として日本銀行創設を主導した薩摩出身の財政家。
日本銀行初代総裁 — 中央銀行の枠組みを作った財政家
吉原重俊は、明治 15 年(1882 年)の 日本銀行設立に際し、初代総裁に就任した薩摩出身の財政家である。大蔵卿・松方正義(後の首相、青山霊園 1種ロ17号で既登録)の右腕として、明治日本の 中央銀行制度・金本位制への布石を作った。
明治初期、日本の金融は不安定で、西南戦争(1877 年)後の インフレが深刻化していた。松方正義が大蔵卿として 緊縮財政・松方デフレを断行する中、その金融政策の実務を支えたのが吉原であった。
明治 15 年 10 月、日本銀行条例に基づき日本銀行が開業。吉原は初代総裁として、紙幣の安定・銀行券発行・正貨準備の確立を主導した。在任わずか 5 年余、明治 20 年(1887 年)12 月に病没。日本の中央銀行制度の根幹を据えた 「銀行家の銀行」の最初の責任者となった。
薩摩の下級武士から、米国留学へ
弘化 2 年(1845 年)1 月 2 日(陽暦 2 月 8 日)、薩摩国鹿児島(現・鹿児島市)に薩摩藩士・吉原重風の子として生まれる。藩校・造士館で学んだ。
明治 3 年(1870 年)、薩摩藩からの 米国留学生に選ばれ渡米。イェール大学で経済学・金融を学び、米国の中央銀行制度・国立銀行制度を体得した。当時の日本人留学生としては最も早期に近代金融を本格的に学んだ一人。
大蔵省から日本銀行創設へ
明治 7 年(1874 年)帰国。大蔵省に出仕。明治 14 年(1881 年)、大蔵卿に就任した 松方正義(同郷の薩摩出身)の信頼を得て、金融政策の実務担当となった。
松方は 西南戦争後のインフレを抑えるため、不換紙幣の整理・歳出削減・正貨準備の蓄積からなる 「松方財政」を断行。その中で、中央銀行の創設は最も重要な制度設計であった。吉原は米国留学の経験を活かし、欧米諸国の中央銀行制度(ベルギー国立銀行など)を比較研究、日本銀行条例の草案作成に深く関わった。
明治 15 年(1882 年)10 月 10 日、日本銀行が開業。吉原は 初代総裁に就任した。37 歳という若さでの就任である。
中央銀行家として 5 年
日本銀行総裁としての吉原の任務は:
- 不換紙幣(明治政府が西南戦争で大量発行)の整理・回収
- 日本銀行券(銀兌換券)の発行体制確立(明治 18 年/1885 年に最初の日銀券発行)
- 正貨(銀貨)準備の蓄積
- 金融機関(国立銀行・私立銀行)に対する 「銀行家の銀行」としての機能整備
吉原は若年ながら、欧米経済の経験者として 国際金融の視座を持ち、松方の緊縮路線を支えた。明治 20 年代に金本位制への移行が達成される基盤は、吉原・松方の二人三脚で作られた。
明治 20 年 12 月 19 日、東京で逝去
しかし吉原は生まれつき体が丈夫ではなく、激務がそれを蝕んだ。明治 20 年(1887 年)12 月 19 日、胃癌のため東京で死去。享年 42。日本銀行総裁在任 5 年余、その後任は 富田鐡之助となった。
伯爵には叙されなかったが、勲一等旭日大綬章を授与され、明治政府の中堅エリートとして評価が高かった。墓所は青山霊園に営まれた。
親族の著名人
- 吉原家は薩摩出身の財政・金融系の家系として、明治後期まで官界に複数の人材を送った
逸話・エピソード
イェールでの「日本人初」
吉原は明治初期にイェール大学で経済学を学んだ最初期の日本人の一人で、当時の学友には後に米国の銀行家・政治家となる人物もいた。帰国後、米国時代の友人を通じて欧米の金融制度に関する最新文献を取り寄せ続け、日本銀行条例の起草時にはベルギー国立銀行・イングランド銀行の規程を比較表にまとめて松方正義に提出したと伝わる。日本の中央銀行制度の設計図は、この若き留学経験者の机上から生まれた。
松方の右腕としての日々
松方正義は吉原を「自分の半分の頭脳」と呼んで信頼したと伝わる。緊縮財政の立案では、松方が方針を立て、吉原が数字と条文に落とし込むという役割分担で、二人は連日深夜まで大蔵省で議論したという。松方が後に「日銀の生みの親は吉原だ」と語った言葉は、社交辞令ではなく実務上の真実を表していた。
42 歳での早逝
明治 20 年 12 月、胃癌で死去した吉原は享年 42。日本銀行総裁としての本格的な活躍を始めた矢先のことであった。葬儀の席で松方は「自分より先に逝くとは思わなかった」と落涙したと伝わる。後任の富田鐡之助、3 代目の川田小一郎へと総裁職は引き継がれていくが、日本銀行の制度設計の根幹はこの 42 歳の初代総裁の 5 年余の在任期間に据えられた。
青山霊園に眠る
吉原重俊の墓は、青山霊園 1種イ4号4側。同じ「1種イ4号」の区画には、警視庁初代大警視・川路利良(1 側)、勝小吉(22 側、勝海舟の父)など、薩摩出身者・幕末から明治への過渡期を生きた人々が眠る。
42 歳で死去した日本銀行初代総裁の墓所が、川路利良ら同郷の薩摩出身者と隣り合う配置は、薩摩閥が明治国家の中央機構を支えたその軌跡を地形に刻んでいる。



