吉井 友実
よしい ともざね
Yoshii Tomozane
薩摩出身の維新元勲。下加治屋町郷中で西郷・大久保と幼馴染、明治天皇の側近・宮内省顧問・日本鉄道社長を歴任した伯爵。
下加治屋町の盟友 — 西郷・大久保とともに明治を作った薩摩人
吉井友実は、薩摩国鹿児島の 下加治屋町に生まれ、西郷隆盛・大久保利通・川路利良・大山巌らと 郷中(ごじゅう) 仲間として育った、明治維新の薩摩元勲群の一人である。
戊辰戦争(1868-69 年)で 参謀として鳥羽伏見・上野彰義隊・東北各地を転戦、維新後は 宮内省顧問・宮中改革に長く関与した。明治天皇の側近として皇室制度の整備に尽力し、晩年は 日本鉄道(明治初期の私鉄)初代社長として日本の鉄道事業の中心人物となった。伯爵に叙された。
西郷・大久保ほど派手な事績は残さなかったが、「下加治屋町の四天王」の最後の一人として、薩摩閥が明治国家を支配する時代を最後まで生きた重鎮であった。
下加治屋町郷中 — 維新元勲群の故郷
文政 11 年(1828 年)2 月 27 日(陽暦 4 月 11 日)、薩摩国鹿児島郡下加治屋町(現・鹿児島市加治屋町)に生まれる。父・吉井友昌は薩摩藩士。下加治屋町は薩摩藩の下級武士が住む町で、青少年の自治集団 「郷中」が独特の教育・連帯を育んだ場所であった。
吉井友実の 郷中仲間には以下がいる(青山霊園に既登録者を中心に列挙):
- 西郷 隆盛(同郷だが青山霊園には眠らず鹿児島・南洲墓地)
- 大久保 利通(青山霊園 1種イ2号、既登録)
- 川路 利良(青山霊園 1種イ4号、既登録)
- 大山 巌(那須に眠るが、薩摩閥の中心)
- 西郷 従道(隆盛の弟、明治海軍大将)
- 東郷 平八郎(海軍元帥、後年の郷中後輩)
- 西郷 糸子(隆盛の妻、青山霊園 1種イ11号、既登録)
「下加治屋町の天才たち」は、明治日本の 政治・軍事・警察・財政を一手に支配することになる。
戊辰戦争 — 参謀として
慶応 4 年(1868 年)1 月、鳥羽伏見の戦い勃発。吉井は 薩摩藩兵の参謀として 京都・大坂方面の作戦を指揮した。同年 4 月、江戸城開城を経て、東北戦争では 新潟・米沢方面を担当、会津若松城陥落(同年 9 月)にも関与。
戊辰戦争の論功で 東京府の地方制度整備に当たり、明治 2 年(1869 年)、新政府の参与となった。
明治政府 — 宮内省顧問・宮中改革
明治 4 年(1871 年)、侍従長(明治天皇の側近最高職)に就任。以後 20 年余、宮内省を中心に皇室制度の整備に関わった。
吉井の宮中改革の主な業績:
- 宮中諸制度の確立(明治 4-10 年代の試行錯誤期に、伝統的儀礼と西洋的儀典をどう調整するかを実務的に処理)
- 明治天皇の地方巡幸(明治 5-18 年に 6 大巡幸が実施、吉井は侍従として同行・統括)
- 皇族制度・華族制度の整備(明治 17 年/1884 年の華族令公布に関与)
「西郷・大久保が表で国家を作るなら、吉井は宮中で皇室制度を作った」 — 維新の薩摩元勲群の役割分担を最も明確に体現する一人であった。
明治 17 年(1884 年)、伯爵に叙される。明治 18 年(1885 年)、宮内省顧問(後に 元老院議官を兼任)。
日本鉄道社長 — 日本初の私鉄経営
明治 14 年(1881 年)、日本鉄道(日本初の 私設鉄道会社、東京 - 青森間の現・東北本線・常磐線等の建設運営)が設立された。岩倉具視・大隈重信・伊藤博文らの構想で、民間資本による鉄道網建設を実現する目的の会社であった。
吉井は 日本鉄道初代社長として、明治 16 年(1883 年)の 上野 - 熊谷間開業を主導。明治 24 年(1891 年)に 東京(上野) - 青森間が全通する基礎を築いた。
明治 24 年(1891 年)4 月 22 日、東京で死去。享年 63(満 63 歳)。日本鉄道青森全通の同年に逝った。
親族の著名人
- 養子・吉井 幸蔵 — 伯爵を襲爵、貴族院議員、海軍少将
- 吉井家は薩摩出身の華族系として明治・大正の中央官界に複数の人材を送った
逸話・エピソード
明治天皇の信任
吉井は明治天皇の侍従長として 20 年以上仕え、天皇から最も信頼された側近の一人だった。地方巡幸の際、宿舎の手配から日程調整まで吉井が一手に引き受け、天皇が「吉井がいれば心配ない」と漏らしたと伝わる。薩摩出身の元勲が政府の表で動く一方、宮中で天皇の信任を背景に皇室制度を整えた吉井は、明治初期の宮中改革の影の主役だった。
西郷隆盛との別れ
明治 6 年(1873 年)の征韓論政変で西郷が下野する際、吉井は宮中の立場上、西郷を見送ることができなかったと伝わる。下加治屋町の幼馴染が二度と会えぬまま西南戦争に至り、西郷は鹿児島で自刃する。吉井は晩年、酒席で「西郷と直接話す機会をなぜ作れなかったか」と独り言を漏らしていたという。新政府側と西郷側に分かれた薩摩人脈の中で、吉井は終生この心の傷を抱えていた。
日本鉄道全通の年に逝く
明治 24 年(1891 年)9 月、日本鉄道の上野・青森間が全通。吉井が初代社長として建設を主導した東北縦貫線が完成した同じ年の 4 月、吉井は東京で死去した。完成を見届けることなく逝ったが、葬儀には日本鉄道の沿線各駅から関係者が駆けつけたと伝わる。明治の鉄道事業を立ち上げた財政・官界出身の経営者として、初期の私鉄経営史に名を残す存在となった。
青山霊園に眠る
吉井友実の墓は、青山霊園 1種イ6号4側。同じ「1種イ6号」の区画には、森永太一郎(2 側、森永製菓創業者、本日既登録)が眠る。
下加治屋町郷中の盟友 — 大久保利通(1種イ2号)・川路利良(1種イ4号)・西郷糸子(1種イ11号)・吉井友実(1種イ6号)が、青山霊園「1種イ」エリアに集まって眠っている配置は、「薩摩閥が明治国家を作って、東京の墓地に集合した」近代日本の構造を地形に刻む。
兄弟分の 西郷隆盛は鹿児島・南洲墓地で 5,000 余りの薩摩士族と眠っているのに対し、吉井ら新政府側の元勲は青山霊園で永眠している — この 地理的分離こそが、明治日本の引き裂かれた歴史を物語っている。





