このコースの楽しみ方
明治政府が招いた「お雇い外国人」6 名を、来日順に訪ねるコース。多国籍の頭脳がどう明治日本の各分野(通訳・軍事・ジャーナリズム・化学・印刷・英語教育)を支えたかを足で辿る。
- 1859 来日 / 通訳・新聞創刊 — ジョセフ・ヒコ(米国に漂着し帰化した日本人、日米外交通訳・新聞創刊の先駆)
- 1867 来日 / 軍事顧問 — デュ・ブスケ(フランス軍人、幕府軍事顧問団から明治政府お雇いへ、100 以上の法律・軍事資料を翻訳)
- 1867 来日 / 砲術→英文ジャーナリズム — ブリンクリー(アイルランド系英国砲兵将校、海軍砲術・工部大学校数学教師を経て Japan Weekly Mail 主筆・ロンドン・タイムズ東京特派員、河鍋暁斎門下の浮世絵蒐集家「弁慶」)
- 1868 来日 / 化学・陶磁 — ワグネル(ドイツ人化学者、有田焼・京焼・ガラス・七宝の近代化を導き「日本陶磁業の恩人」)
- 1875 来日 / 印刷・紙幣肖像 — キヨッソーネ(イタリア人版画家、明治政府の紙幣・切手・勅任官の肖像を制作した印刷技術指導者)
- 1875 来日 / 英語教育 — イーストレイク(米国人英語教育者、23 か国語を操る「博言博士」、慶應義塾で英文学を教える)
約 45 分の散策で、近代日本が「閉ざされた国」ではなく「世界に開かれて作られた国」だったことを実感できる、青山霊園の中でも特異な意味を持つ一画。
外国人墓地区域は約 20m 圏内にコンパクトに集まっており、各人の生没年と職分の違いを近距離で比較できる。19 世紀後半に世界各地から日本に渡り、明治国家の骨格に貢献した彼らは、母国に戻らず日本の土に眠ることを選んだ — そのこと自体が「明治日本がどれほど彼らに開かれた場だったか」を物語っている。
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外国人墓地区域の 6 名は約 20m 圏内にコンパクトに集まっており、最後の ブリンクリー だけ北西に少し離れています。徒歩モードで開けます。
経路順:
- ワグネル(1種ロ7号) ← ドイツ
- キヨッソーネ(同区域) ← イタリア
- ジョセフ・ヒコ(同区域) ← 米国(漂流帰化民)
- デュ・ブスケ(同区域) ← フランス
- イーストレイク(同区域) ← 米国
- ブリンクリー(北西) ← 英国アイルランド
総距離 約 300m(うちブリンクリーまで 150m)、墓所間 5 分(参拝込み 40-50 分)。