函館戦争終結(五稜郭開城)
榎本武揚率いる蝦夷共和国軍が五稜郭で降伏。戊辰戦争が終結し、新政府の全国統一が完成。
戊辰戦争を終わらせた五稜郭の白旗
函館戦争(箱館戦争)の終結は、明治 2 年 5 月 18 日(陽暦 1869 年 6 月 27 日)、榎本武揚率いる旧幕府軍が五稜郭で新政府軍に降伏したことで成立した。慶応 4 年正月の鳥羽伏見の戦いから 1 年 5 か月、明治政府にとっての最後の組織的抵抗勢力が消え、戊辰戦争はこの日をもって完全に終結した。
降伏に至るまでの 8 か月、五稜郭に立てこもった旧幕府軍は「蝦夷共和国」と通称される独自政体を組織し、入札(投票)で総裁・榎本武揚以下の役員を選出するなど、明治国家とは別の近代政体の可能性を一瞬だけ提示した。その消滅は同時に、新政府軍参謀・黒田清隆による敵将助命嘆願という前例を生み、明治国家が「敗者を活かす」人材政策に転じる起点ともなった。
背景 — 江戸開城・東北戦争・脱走艦隊
慶応 4 年(1868 年)正月の鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗北し、4 月の江戸城無血開城で徳川家は恭順。だが旧幕府海軍副総裁・榎本武揚は艦隊の引き渡しを拒否し、同年 8 月 19 日、軍艦・開陽丸を旗艦とする 8 隻の艦隊で品川沖を脱走した。
奥羽越列藩同盟は同年 5 月から 9 月にかけて新政府軍と各地で交戦するが、9 月の会津若松開城・米沢藩降伏で崩壊。仙台に集結していた旧幕府陸軍残党(大鳥圭介の伝習隊・新選組の土方歳三ら)は、榎本艦隊と合流して蝦夷地へ向かう道を選んだ。
明治元年(1868 年)10 月 20 日、榎本艦隊は蝦夷地・鷲ノ木(現・森町)に上陸。10 月 25 日に箱館を制圧し、11 月 5 日には松前城を陥落させて全島をほぼ掌握した。同年 12 月 15 日、入札(選挙)で総裁・榎本武揚、副総裁・松平太郎、陸軍奉行・大鳥圭介、海軍奉行・荒井郁之助、陸軍奉行並・土方歳三らが選出され、独自政体が発足した。
しかし旗艦・開陽丸が同年 11 月 15 日、江差沖で暴風雨に遭遇して座礁・沈没。最強の軍艦を失った旧幕府海軍は、新政府軍が新規購入した装甲艦・甲鉄(ストーンウォール)を迎える春までに、海軍力で決定的に劣勢となっていた。
1869 年 4 月から 6 月 — 宮古湾から五稜郭開城まで
明治 2 年(1869 年)3 月 25 日、旧幕府海軍は劣勢を覆すため、宮古湾(現・岩手県宮古市)に停泊中の新政府軍の甲鉄を奪取する作戦を実行。アボルダージュ(接舷攻撃)と呼ばれる旧式戦法での奇襲だったが、潮流と機銃の前に失敗。アメリカ南北戦争の最新装備を備えた甲鉄相手に、旧幕府軍の海軍力差は決定的なものとなった。
4 月 9 日、新政府軍は乙部(現・乙部町)に上陸を開始。総参謀は黒田清隆(薩摩出身)、軍監に山田顕義らが配された。陸路を松前・木古内・二股口・矢不来と進撃し、5 月 11 日には箱館湾内で旧幕府海軍を撃破。同時に新選組副長・土方歳三が箱館市街・一本木関門の戦闘で銃弾を受けて戦死した(35 歳)。
5 月 17 日、新政府軍は五稜郭を完全包囲し、降伏勧告を行う。黒田清隆は前夜、酒樽を抱えて単身で五稜郭を訪れ、榎本武揚と直接会談したと伝わる(「黒田の酒樽」のエピソードとして知られる)。この席で榎本は、留学時代にオランダから持ち帰った国際法書『万国海律全書』(オルトラン著)を黒田に贈り、「これを我が国の海軍のために役立ててほしい」と託した。
5 月 18 日(陽暦 6 月 27 日)、榎本武揚以下、大鳥圭介・松平太郎・荒井郁之助らが五稜郭を出て新政府軍本営に出頭、降伏文書に署名。旧幕府軍兵士約 1,000 名は武装を解いて投降した。戊辰戦争はここで完全に終結した。
歴史的影響
1. 戊辰戦争の終結と全国統一の完成
明治 2 年(1869 年)6 月の版籍奉還、続く明治 4 年(1871 年)の廃藩置県へと続く一連の近代国家形成は、五稜郭開城によって軍事的反対勢力が消滅したことで初めて可能となった。蝦夷地は同年 8 月に「北海道」と改称され、開拓使の管轄下に置かれた。
2. 「黒田の助命嘆願」と敗者活用の人事文化
新政府軍参謀・黒田清隆は、降伏した榎本武揚の助命を西郷隆盛・大久保利通に強硬に嘆願した。「榎本ほどの人物を殺すのは国家の損失だ」との説得が通り、榎本らは明治 5 年(1872 年)に特赦で出獄。後に駐ロシア公使・逓信大臣・農商務大臣を歴任することになる。同じく大鳥圭介・荒井郁之助・沢太郎左衛門ら旧幕府幹部の多くが新政府で技術官僚として再起した。「敗者を活かす」明治国家の人材政策の原型がここに作られた。
3. 北海道開拓の起点
降伏時の新政府軍参謀・黒田清隆は、戦後そのまま北海道開拓使次官・長官として、12 年間にわたり北海道近代化を主導した。米国農務省長官ホーレス・ケプロンの招聘、札幌農学校創設(クラーク博士)、屯田兵制度、ビール醸造、鉱山開発 — 現在の北海道のインフラと産業構造の多くが、この時期に基礎づくられた。
4. 「蝦夷共和国」の幻想と日本史における近代政体の前史
旧幕府軍が入札で役員を選出した政体は、近代日本における「選挙」の最初期の事例として歴史的に注目される。期間はわずか 5 か月、外国政府が承認したわけでもないが、明治政府の太政官制とは異なる「武家共和制」の可能性を一瞬だけ提示した。後の自由民権運動・帝国議会開設へと連なる議会制思想の、極めて早い前例として歴史教科書でしばしば言及される。
関連する偉人とその役割
黒田 清隆(新政府軍参謀)
当時 28 歳の薩摩藩士。函館攻略の総参謀として、4 月 9 日の乙部上陸から 5 月 18 日の五稜郭開城までの陸海合同作戦を統括した。最大の功績は、軍事的勝利そのものよりも、降伏した榎本武揚の助命を強硬に嘆願したことにある。これがなければ明治政府は榎本武揚という人材を失い、後の駐ロシア公使・千島樺太交換条約交渉・逓信大臣・農商務大臣としての貢献も実現していなかった。黒田自身は戦後そのまま北海道開拓使に転じ、北海道近代化の責任者となる。明治 21 年(1888 年)に第 2 代内閣総理大臣に就任。明治 33 年(1900 年)逝去。
沢 太郎左衛門(旧幕府海軍・開陽丸副艦長/艦長代行)
オランダ留学組として開陽丸を回航してきた幕府海軍士官。脱走艦隊では開陽丸副艦長(後に艦長代行)として品川脱出から蝦夷地上陸までを指揮した。明治元年 11 月の開陽丸江差沖座礁・沈没で、蝦夷共和国は最強の艦を失う。沢自身は海軍奉行並として残存艦隊の運用を担い、五稜郭で榎本らとともに降伏。約 2 年半の獄中生活ののち、黒田清隆の助命嘆願で釈放され、北海道開拓使技師として札幌の都市建設・鉄道建設・工業政策に従事した。海軍兵学寮の教官も兼ね、明治海軍士官養成にも貢献している。
大鳥 圭介(旧幕府陸軍奉行/蝦夷共和国陸軍奉行)
蝦夷共和国の陸軍奉行として陸戦の総指揮を担当。鳥羽伏見の戦い後に伝習隊と新選組を率いて北関東・会津若松・仙台と転戦し、榎本艦隊と合流して箱館へ渡った。蝦夷地では二股口の戦いで新政府軍を撃退するなど善戦したが、5 月 11 日の市街戦で副官・土方歳三を失い、18 日に榎本とともに降伏。獄中 3 年を経て特赦で出獄後は、工部省・工部大学校長・駐清公使・学習院長を歴任。鳥羽伏見・宇都宮・会津・函館と転戦した旧幕府陸軍の指揮官が、明治国家のエスタブリッシュメントに完全に組み込まれた象徴的な人物となった。
関連する作品
- 司馬遼太郎『燃えよ剣』(1962-64 年、文藝春秋) — 土方歳三を主人公とする長編歴史小説。鳥羽伏見から函館・一本木関門の戦死までを克明に描き、五稜郭の蝦夷共和国の日々が物語の終盤を彩る
- 司馬遼太郎『胡蝶の夢』 — 幕末蘭学者の系譜を辿る作品で、榎本武揚・大鳥圭介ら蝦夷共和国の知識人たちの背景が描かれる
- 映画『燃えよ剣』(2021 年、原田眞人監督、岡田准一主演) — 司馬遼太郎原作の映画化
- NHK 大河ドラマ『新選組!』(2004 年、三谷幸喜脚本) — 続編スペシャル『新選組!! 土方歳三 最期の一日』(2006 年)で函館戦争が描かれた
北海道函館市の五稜郭は現在、国の特別史跡として整備され、隣接する五稜郭タワーから星形稜堡の全景を一望できる。函館市内には土方歳三最期の地・一本木関門の碑、碧血碑(旧幕府軍戦死者を弔う碑)など、函館戦争の遺構が点在している。