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有村 次左衛門

ありむら じざえもん

Arimura Jizaemon

桜田門外の変で井伊直弼の首を取った薩摩藩士。22歳で果て、討幕運動の引き金を引いた幕末志士。

生没年
出身地
薩摩国鹿児島
死没地
江戸・桜田門外
時代
江戸
役職
薩摩藩士
区画
1種ロ12号9側
タグ
薩摩藩 / 桜田門外の変 / 井伊直弼 / 幕末志士

桜田門外で井伊大老を斬った男

有村次左衛門は、万延元年(1860年)3月3日朝、江戸城桜田門外で大老・井伊直弼を襲撃し、その首級を上げた薩摩藩士である。襲撃は水戸藩脱藩浪士17名・薩摩藩士1名 — 合計18名の同志による決行で、薩摩から参加した唯一の藩士が有村であった。

井伊大老の首を駕籠から引きずり出して討ち取ったあと、自らも彦根藩士の槍で深手を負い、若年寄・遠藤胤統邸の前で自害。享年22。倒幕運動の真の起点となった桜田門外の変の中で、最も象徴的な役割を果たした若い志士である。

薩摩郷士・有村家の三男

天保10年(1839年)、薩摩国鹿児島で郷士・有村兼善の三男として生まれる。長兄・海江田信義(有村俊斎、後の海江田信義)も後に維新政府に参画する人物で、有村家は薩摩の郷士階層から幕末政局に若手志士を送り出した家系である。

少年期から剣術と尊王攘夷思想を学び、薩摩藩内の精忠組(西郷隆盛・大久保利通も属する)の周辺で活動。安政6年(1859年)からの安政の大獄で水戸藩・長州藩の志士が次々と処罰される中、水戸藩を脱藩した浪士たちと連絡を取り、井伊大老襲撃計画に加わった。

万延元年3月3日 — 桜田門外の変

万延元年(1860年)3月3日午前9時頃、上巳の節句登城のため江戸城に向かう井伊直弼の駕籠列が、桜田門外の坂を下る。この日は前夜から雪が降り続いていた。

合図とともに、水戸浪士の関鉄之介を頭目とする18名の襲撃隊が一斉に駕籠を取り囲む。混乱の中、有村次左衛門は駕籠に駆け寄り、半ば斬り抜かれていた井伊大老を引きずり出して首を取った。長兄・海江田信義の弟であり、薩摩から唯一参加した彼が、まさに襲撃の核心の役割を担ったことになる。

しかし、有村もまた彦根藩士の槍に深手を負い、首級を掲げて立ち去ろうとした途中、若年寄・遠藤胤統邸の前で力尽き、自刃した。享年22。

桜田門外の変が意味するもの

幕府の最高権力者・大老が、江戸城のすぐ門前で 暗殺された。この事件は、幕府の権威崩壊を白日の下にさらし、その後の倒幕運動・尊王攘夷運動の起点となった。井伊直弼の死後、幕府は文久の改革・公武合体路線へと舵を切らざるを得なくなり、わずか8年後の慶応3年(1867年)、大政奉還で江戸幕府は終焉を迎える。

桜田門外の変は、薩摩・水戸を中心とした討幕運動の出発点として、近代日本の起点に位置づけられる事件であり、その実行者の中心の一人が、青山霊園に眠る有村次左衛門である。

同志と兄弟

長兄・海江田信義(有村俊斎)は維新後に元老院議官・子爵となり、青山霊園 1種ロ12号9側に眠る。次左衛門の墓も同じ区画にあり、桜田門外で死んだ弟と、明治を生きた兄が、青山の同じ一画に並んで眠っている。

桜田門外の襲撃同志のうち、15名がその場で死亡または重傷を負い、後に幕府の処刑または自刃で全員が世を去った。「井伊大老を討つ」という決意で集まった一団は、決行から数か月以内にほぼ全滅した。

逸話・エピソード

朝の雪と、22 歳の覚悟

万延元年 3 月 3 日、桜田の朝は前夜からの大雪で江戸の坂が真っ白に染まっていた。襲撃隊の浪士たちは雪を口実に蓑笠で顔を隠し、駕籠列の通過位置に散らばっていた。有村は隊の中で最年少格の 22 歳。決行を前夜に確認した同志に対し、有村は「明朝、首級を上げて見せる」とだけ静かに告げたと伝わる。襲撃が始まると約束通り駕籠に駆け寄り、その言葉どおりに井伊大老の首を取った。雪の中で一人だけ薩摩弁が混じった気合の声が響いたという証言が、後の同志の手記に残されている。

抜けない刀と最期

井伊大老の首級を抱えた有村は、彦根藩士・小河原秀之丞らの槍で深手を負いながらも、首を懐に抱えてその場を離脱した。和田倉門外、若年寄・遠藤胤統邸の門前で力尽きた際、自害しようとして刀を引き抜こうとしたが、自分の血で柄が滑り、抜けなかったと伝わる。最期に「無念」と漏らし、首を投げ捨ててから脇差で自らの咽喉を刺し貫いた。享年 22。井伊家の家臣に首を取り返されることだけは避けたかったのだろう。

青山霊園に眠る

有村次左衛門の墓は、青山霊園 1種ロ12号9側にある。同じ墓所には長兄・海江田信義(後の元老院議官・子爵)の墓もあり、兄弟は維新前と維新後をそれぞれ象徴する形で、同じ青山の土に眠っている。

22歳で果てた弟が、桜田門外で振るった刃が、明治国家の成立を引き寄せた — そしてその国家で侯爵・伯爵が並ぶ青山霊園の一画に、襲撃志士・有村次左衛門の墓がある。この墓所そのものが、近代日本がどう始まったかを示す最も鋭い場所の一つである。

墓所の位置

関与した事件

この偉人を含む散歩コース

参考資料

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