このコースの楽しみ方
近代日本史を彩る政治テロの連鎖を、桜田門外(1860)から二・二六事件(1936)まで 76 年の時系列で辿るコース。倒れた 9 名と、襲撃を生き延びた 1 名の墓に「言論が銃口に屈した時代」が重なって浮かび上がる。
- 1860 / 桜田門外の変 — 有村次左衛門(井伊直弼を討った 22 歳の薩摩藩士、自身も切腹)
- 1868 / 偽官軍処刑 — 相楽総三(赤報隊隊長、「年貢半減」で進軍するも新政府粛清で下諏訪斬首)
- 1878 / 紀尾井坂の変 — 大久保利通(内務卿、出仕途中の馬車を島田一郎ら 6 名に襲撃され刺殺)
- 1889 / 憲法発布日 — 森有礼(初代文部大臣、官邸玄関で国家主義者・西野文太郎に短刀で刺される)
- 1930 / 東京駅狙撃 — 浜口雄幸(ライオン宰相、金解禁・ロンドン軍縮断行への報復)
- 1932 / 血盟団事件 — 井上準之助(前蔵相、「一人一殺」テロ綱領の最初の標的)
- 1932 / 五・一五事件 — 犬養毅(第 29 代総理、「話せばわかる」「問答無用」の応酬の末に銃撃)
- 1932 / 天長節爆弾事件 — 白川義則(上海派遣軍司令官、尹奉吉の投擲爆弾で 108 か所負傷)
- 1935 / 相沢事件 — 永田鉄山(陸軍省軍務局長、皇道派・相沢三郎中佐に局長室で斬殺、二・二六事件の引き金)
- 1936 / 二・二六事件(襲撃生還) — 牧野伸顕(元内大臣、湯河原で襲撃を受けるも孫・和子の機転で裏山に脱出。同事件では高橋是清蔵相・斎藤実内大臣・渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害された)
約 85 分の散策で、「対話と論理ではなく銃口が政治を決める時代」がどう近代日本に到来し、終戦まで国家を傾けたかを 10 名の墓で体感できる。
歩いていて気づくのは、テロの加害者と被害者の入れ替わり。最初の有村次左衛門はテロの加害側(井伊直弼を討って自身も果てた幕末志士)、次の相楽総三は新政府粛清の犠牲者で、加害から被害への過渡期を象徴する。以降の 7 名 — 大久保・森・浜口・井上・犬養・白川・永田 — は全員、政府要職にあって倒れた政治家・元勲・将軍である。
時系列で並べるともう一つの構図が浮かぶ。1860 年代から 1880 年代までは「維新の余熱」(不平士族・国家主義者・新政府粛清による要人襲撃)、1930 年代は「政党政治への反抗と軍内派閥抗争」(軍部・右翼・朝鮮独立運動家・皇道派による襲撃)。間の 40 年間(1890-1930)は意外にも政治テロが少なく、ここが日本の政党政治が最も機能した「大正デモクラシー」期と重なる。そして 1932 年の血盟団・五・一五・天長節爆弾、続く 1935 年の相沢事件、1936 年の二・二六事件で政党内閣の時代は事実上終わり、軍部主導の挙国一致内閣 → 太平洋戦争へと国家が傾く。
最後の牧野伸顕は本コース唯一の生還者で、特殊な位置を占める。1936 年の二・二六事件では高橋是清蔵相・斎藤実内大臣・渡辺錠太郎陸軍教育総監ら多数の要人が殺害されたが、彼らは多磨霊園など別の場所に眠るため本コースには登場しない。襲撃を生き延びた牧野を入れることで、二・二六事件という「テロが頂点に達した時代の到達点」を本コースの締めくくりに据えている。歴史の偶然で生死を分けた人物の墓を順に訪ねると、戦前日本がどこで完全に転じたかが一筆書きで見えてくる。
歩く順番は時系列順に記載しているが、青山霊園内の実際の動線は各人物の区画番号(個別ページに記載)を参照して組むのがおすすめ。立山墓地(相楽総三・永田鉄山)は本園からやや離れた南側にあるため、時系列順を厳密に守ると本園と立山を往復することになる。本園内では 1種ロ8号1・14側に犬養毅・井上準之助・浜口雄幸が同じ一区画に並び、その近隣に牧野伸顕も眠るため、コース中盤から後半は徒歩 3 分ほどで連続して訪ねられる。
Google Maps で散歩経路を開く
10 名の墓所を時系列順に巡る徒歩経路を Google Maps の徒歩モードで開けます。
経路順(時系列):
- 有村 次左衛門(1種ロ12号9側)←1860 桜田門外
- 相楽 総三(立山墓地)←1868 偽官軍処刑
- 大久保 利通(1種イ2号15側)←1878 紀尾井坂
- 森 有礼(1種イ1号12側)←1889 憲法発布日
- 浜口 雄幸(1種ロ8号1・14側)←1930 東京駅狙撃
- 井上 準之助(同区画近接)←1932 血盟団
- 犬養 毅(同区画近接)←1932 五・一五
- 白川 義則(1種イ側)←1932 天長節爆弾
- 永田 鉄山(立山墓地)←1935 相沢事件
- 牧野 伸顕(1種ロ8号付近)←1936 二・二六事件(生還)
総距離 約 1.4 km(立山墓地の往復含む)、墓所間 15-25 分(参拝込み 80-90 分)。