R O U T E

暗殺・テロに倒れた偉人コース

銃弾と刃が政治を変えた近代日本 70 年


桜田門外の変(1860)から二・二六事件(1936)まで、政治テロの連鎖を時系列で辿るコース。井伊直弼を討った若き志士、戊辰戦争で「偽官軍」とされた赤報隊隊長、紀尾井坂で凶刃に倒れた維新の元勲、憲法発布日に刺殺された文部大臣、東京駅で狙撃された宰相、血盟団・五・一五・上海天長節爆弾で続けて倒れた政治家・将軍、軍務局長室で斬殺された統制派の中心 — テロに倒れた 9 名と、二・二六事件で襲撃を生き延びた牧野伸顕を含めた 10 名の墓に「言論が銃口に屈した時代」を重ねて訪ねる。

その他 所要 85 分 10 名

散歩経路マップ

マーカー番号は 人物紹介の順番(時系列・物語順)です。経路ラインは 効率よく歩ける順番で結んでいます。番号順と歩く順が異なるルートでは、線を辿る方が散策しやすくなります。

地図データ: © OpenStreetMap contributors

このコースの楽しみ方

近代日本史を彩る政治テロの連鎖を、桜田門外(1860)から二・二六事件(1936)まで 76 年の時系列で辿るコース。倒れた 9 名と、襲撃を生き延びた 1 名の墓に「言論が銃口に屈した時代」が重なって浮かび上がる。

約 85 分の散策で、「対話と論理ではなく銃口が政治を決める時代」がどう近代日本に到来し、終戦まで国家を傾けたかを 10 名の墓で体感できる。

歩いていて気づくのは、テロの加害者と被害者の入れ替わり。最初の有村次左衛門はテロの加害側(井伊直弼を討って自身も果てた幕末志士)、次の相楽総三は新政府粛清の犠牲者で、加害から被害への過渡期を象徴する。以降の 7 名 — 大久保・森・浜口・井上・犬養・白川・永田 — は全員、政府要職にあって倒れた政治家・元勲・将軍である。

時系列で並べるともう一つの構図が浮かぶ。1860 年代から 1880 年代までは「維新の余熱」(不平士族・国家主義者・新政府粛清による要人襲撃)、1930 年代は「政党政治への反抗と軍内派閥抗争」(軍部・右翼・朝鮮独立運動家・皇道派による襲撃)。間の 40 年間(1890-1930)は意外にも政治テロが少なく、ここが日本の政党政治が最も機能した「大正デモクラシー」期と重なる。そして 1932 年の血盟団・五・一五・天長節爆弾、続く 1935 年の相沢事件、1936 年の二・二六事件で政党内閣の時代は事実上終わり、軍部主導の挙国一致内閣 → 太平洋戦争へと国家が傾く。

最後の牧野伸顕は本コース唯一の生還者で、特殊な位置を占める。1936 年の二・二六事件では高橋是清蔵相・斎藤実内大臣・渡辺錠太郎陸軍教育総監ら多数の要人が殺害されたが、彼らは多磨霊園など別の場所に眠るため本コースには登場しない。襲撃を生き延びた牧野を入れることで、二・二六事件という「テロが頂点に達した時代の到達点」を本コースの締めくくりに据えている。歴史の偶然で生死を分けた人物の墓を順に訪ねると、戦前日本がどこで完全に転じたかが一筆書きで見えてくる。

歩く順番は時系列順に記載しているが、青山霊園内の実際の動線は各人物の区画番号(個別ページに記載)を参照して組むのがおすすめ。立山墓地(相楽総三永田鉄山)は本園からやや離れた南側にあるため、時系列順を厳密に守ると本園と立山を往復することになる。本園内では 1種ロ8号1・14側に犬養毅井上準之助浜口雄幸が同じ一区画に並び、その近隣に牧野伸顕も眠るため、コース中盤から後半は徒歩 3 分ほどで連続して訪ねられる。

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10 名の墓所を時系列順に巡る徒歩経路を Google Maps の徒歩モードで開けます。

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経路順(時系列):

  1. 有村 次左衛門(1種ロ12号9側)←1860 桜田門外
  2. 相楽 総三(立山墓地)←1868 偽官軍処刑
  3. 大久保 利通(1種イ2号15側)←1878 紀尾井坂
  4. 森 有礼(1種イ1号12側)←1889 憲法発布日
  5. 浜口 雄幸(1種ロ8号1・14側)←1930 東京駅狙撃
  6. 井上 準之助(同区画近接)←1932 血盟団
  7. 犬養 毅(同区画近接)←1932 五・一五
  8. 白川 義則(1種イ側)←1932 天長節爆弾
  9. 永田 鉄山(立山墓地)←1935 相沢事件
  10. 牧野 伸顕(1種ロ8号付近)←1936 二・二六事件(生還)

総距離 約 1.4 km(立山墓地の往復含む)、墓所間 15-25 分(参拝込み 80-90 分)。

巡る人物(10 名)

  1. 1
    肖像 未公開

    有村 次左衛門 ありむら じざえもん

    1839 - 1860 江戸 軍人 1種ロ12号9側

    1860 桜田門外の変 — 大老・井伊直弼の首を取った 22 歳の薩摩藩士。腹を切って自身も果てた、幕末政治の流れを変えた直接の引き金

  2. 2
    肖像 未公開

    相楽 総三 さがら そうぞう

    1839 - 1868 江戸 その他 青山霊園附属立山墓地

    1868 偽官軍処刑 — 戊辰戦争で赤報隊隊長として「年貢半減」を宣伝しながら東山道を進軍、新政府の方針転換で「偽官軍」と断じられ下諏訪で斬首。享年 30。新政府による最初期の粛清の犠牲者

  3. 3
    大久保 利通の肖像

    大久保 利通 おおくぼ としみち

    1830 - 1878 江戸・明治 政治家 1種イ2号15側

    1878 紀尾井坂の変 — 内務卿として近代日本を設計していた最中、出仕途中の馬車を島田一郎ら 6 名に襲撃され刺殺。享年 47。維新最大の政治家の絶頂期の死

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    森 有礼の肖像

    森 有礼 もり ありのり

    1847 - 1889 江戸・明治 政治家 1種イ1号12側

    1889 憲法発布日 — 大日本帝国憲法発布の祝典に向かう朝、官邸玄関で国家主義者・西野文太郎に短刀で刺され翌日死亡。享年 41。「初代文部大臣が憲法発布の日に倒れる」象徴的事件

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    浜口 雄幸の肖像

    浜口 雄幸 はまぐち おさち

    1870 - 1931 大正・昭和 政治家 1種ロ8号1・14側

    1930 東京駅狙撃 — 「ライオン宰相」として金解禁・ロンドン軍縮を断行した第 27 代総理が、東京駅プラットフォームで右翼青年・佐郷屋留雄に狙撃され重傷。翌年没。ロンドン軍縮の統帥権干犯論が背景

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    井上 準之助の肖像

    井上 準之助 いのうえ じゅんのすけ

    1869 - 1932 大正・昭和 政治家 1種ロ8号1・14側

    1932 血盟団事件 — 浜口・若槻内閣の蔵相として金解禁を担った前蔵相が、東京・本郷の小学校演説会場前で血盟団員・小沼正に銃撃され死亡。「一人一殺」のテロ綱領の最初の標的

  7. 7
    犬養 毅の肖像

    犬養 毅 いぬかい つよし

    1855 - 1932 大正・昭和 政治家 1種ロ8号1・14側

    1932 五・一五事件 — 第 29 代総理・憲政の闘士が首相官邸で海軍青年将校らに襲撃され、「話せばわかる」「問答無用」の応酬の末に銃撃され死亡。享年 76。戦前日本の政党内閣時代の終焉

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    白川 義則の肖像

    白川 義則 しらかわ よしのり

    1869 - 1932 明治・昭和 軍人

    1932 天長節爆弾事件 — 上海派遣軍司令官として上海事変の停戦交渉を進めていた陸軍大将が、4 月 29 日の天長節祝賀式典で尹奉吉の投擲した爆弾により 108 か所の傷を負い、約一か月後に上海陸軍病院で殉職

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    永田 鉄山の肖像

    永田 鉄山 ながた てつざん

    1884 - 1935 明治・昭和 軍人 青山霊園附属立山墓地

    1935 相沢事件 — 統制派の中心として国家総動員体制を構築しつつあった陸軍省軍務局長が、白昼の局長室で皇道派の相沢三郎中佐に斬殺された。「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と評された逸材の死、二・二六事件の引き金

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    牧野 伸顕の肖像

    牧野 伸顕 まきの のぶあき

    1861 - 1949 大正・昭和 政治家 1種ロ8号1・14側

    1936 二・二六事件(襲撃生還) — 元内大臣、湯河原の旅館・伊藤屋を反乱軍に襲撃されるも、孫の和子(後の麻生和子、麻生太郎の母)の機転で裏山に避難して脱出。同事件では高橋是清蔵相・斎藤実内大臣・渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害され、本コースが描く「テロが頂点に達した時代」の到達点となった