シーメンス事件
ドイツのシーメンス社が日本海軍高官に賄賂を渡していたことが暴露された海軍最大の汚職事件。第一次山本権兵衛内閣が責任を取って総辞職、八代六郎を海相とする大隈重信内閣に交代し、海軍人事の刷新が断行された。
大正 3 年 1 月、ベルリンからの暴露
シーメンス事件は、大正 3 年(1914 年)1 月、ドイツのシーメンス社東京支店の元社員が、同社が日本海軍高官に対し賄賂を支払って受注を有利に進めていたことを暴露したことに端を発する海軍最大の汚職事件である。
ベルリンの新聞報道(1914 年 1 月 23 日のロイター電に始まる一連の報道)を通じて世界に流された情報は、ただちに日本国内でも問題となった。海軍呉鎮守府司令長官 松本和、海軍中将 藤井光五郎らに収賄容疑が向けられ、軍法会議で有罪判決が下された。
事件は単にシーメンス社との取引だけにとどまらず、英ヴィッカース社からの戦艦 金剛発注に絡む手数料問題にも波及し、海軍中央部の組織的腐敗を示すものとして世論を激怒させた。
第一次山本権兵衛内閣の総辞職
事件発覚当時、第一次山本権兵衛内閣(1913 年 2 月発足)が政権を担当していた。山本首相は薩摩出身の海軍大将で、長年海軍を率いた中心人物。海軍中央の汚職は彼の権威の根幹を揺るがした。
野党・新聞・群衆が「軍備拡張のための増税に対する裏切り」として内閣を激しく追及。大正 3 年(1914 年)3 月、貴族院が予算を大幅に削減した修正案を可決したことを受け、山本内閣は同月 24 日に総辞職した。
大隈重信内閣と八代海相による海軍刷新
シーメンス事件で失墜した海軍と政府を立て直すため、大正 3 年 4 月 16 日、大隈重信内閣が成立した。海軍大臣に就任したのが、日露戦争で装甲巡洋艦 浅間艦長として知られた 八代六郎(当時海軍中将)である。
八代は前任の山本権兵衛・斎藤実・財部彪 ら従来の薩摩系海軍閥の中核を予備役に編入する大胆な人事を断行。「海軍を政府のコントロール下に置き、信頼回復に努める」方針で、組織再編に手をつけた。
秋山真之(『坂の上の雲』の主人公の一人で、日露戦争の作戦立案者)を海軍次官・軍務局長に推挙したのも、八代海相時代のことである。日露戦争から 10 年を経て、戦時の参謀を海軍中央に引き上げる人事だった。
歴史的影響
- 政党政治への移行加速 — シーメンス事件は、山本権兵衛・桂太郎ら明治以来の藩閥政治家への信頼を決定的に損ない、政党内閣の正統性を相対的に高めた。同年の第二次大隈内閣・以後の原敬内閣(初の本格的政党内閣)への流れの一因となった。
- 海軍内部の薩摩閥支配の終焉 — 八代海相による予備役編入で、明治海軍を作った薩摩系の中核が一掃された。以後の海軍人事は地域性より海軍兵学校期別・職能で組み立てられる方向に進む。
- 第一次世界大戦への前夜 — 事件処理が一段落した直後の大正 3 年 7 月、欧州で第一次世界大戦が勃発する。日本は日英同盟に基づいて 8 月に参戦するが、その直前に海軍を刷新できたことが、後の対独戦・地中海派遣に影響したと評価する声もある。
関連する偉人とその役割
山本 権兵衛(第一次内閣総理大臣 / シーメンス事件で総辞職)
薩摩出身の海軍大将、海軍を一から制度化した「日本海軍の父」。第一次山本内閣の首相としてシーメンス事件の責任を取り、大正 3 年 3 月に総辞職した。本人は事件の直接当事者ではなかったが、海軍中央の腐敗を防げなかった責任を引き受けた形である。後の大正 12 年(1923 年)、関東大震災直後に第二次山本内閣を組織するが、虎ノ門事件で再び総辞職することになる。本霊園 1種ロ7-10側1番に眠る。
八代 六郎(大隈内閣海軍大臣 / 海軍刷新の責任者)
尾張犬山出身の海軍中将。日露戦争では装甲巡洋艦 浅間艦長として仁川沖海戦に参加。シーメンス事件後の大隈重信内閣で海相に就任(1914-1915)、山本・斎藤・財部ら薩摩系の中核を予備役に編入する人事を断行した。秋山真之を海軍次官に推挙したのも八代である。本霊園 1種ロ1-14号2側6番に眠る。
財部 彪(海軍次官 / シーメンス事件で予備役編入)
宮崎出身の海軍中将、山本権兵衛の女婿。第一次山本内閣の海軍次官としてシーメンス事件処理に当たったが、八代海相人事で予備役に編入された。後にロンドン海軍軍縮会議全権として復帰し、海相も務めることになる。本霊園 1種イ3号1番1側に眠る。