E V E N T

普通選挙法公布


加藤高明内閣が衆議院議員選挙法を改正、25 歳以上の男性全員に選挙権を与える。同時に治安維持法も公布、大正デモクラシーの到達点と暗い影が同居した日。

普通選挙法を成立させた加藤高明首相
普通選挙法を成立させた加藤高明首相 Wikimedia Commons / Public domain
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社会

大正デモクラシーの到達点、そして暗い影

普通選挙法は、大正 14 年(1925 年)5 月 5 日に公布された、衆議院議員選挙法の全面改正である。それまでの納税額制限(直接国税 3 円以上を納める者にのみ選挙権)を撤廃し、満 25 歳以上のすべての日本人男性に選挙権を与えた。有権者数は約 4 倍(307 万人 → 1240 万人)に拡大し、人口比でいうと約 5% から約 20% へと跳ね上がった。普通選挙制(男子普選)の実現は、明治 22 年(1889 年)の衆議院議員選挙法制定以来、36 年越しの大改革だった。

しかしこの法律には、もう一つの顔がある。同年 4 月 22 日には治安維持法が公布されている。「国体の変革」「私有財産制度の否認」を目的とする結社の組織者・加入者に最高 10 年(後に死刑にも拡大)の懲役刑を科すこの法律は、共産主義・無政府主義を主たる取締対象としていた。普通選挙の実施で社会主義政党が国政に進出する可能性が高まったことへの「保険」として、政府は普選法と治安維持法をセットで議会に上程した。

「自由を広げると同時に、その自由が国体変革に向かわないよう枠をはめる」 — 戦前日本独特の二面性をこの 1925 年春は端的に体現している。大正デモクラシーの到達点であり、同時に昭和の思想弾圧の起点でもあった、戦前日本史の分水嶺の年である。

この大改革を推進した首相が、加藤高明(本霊園に眠る、第 24 代内閣総理大臣)である。

背景 — 普選運動と政党政治の進展

普通選挙の議論は、明治末期から既に政治運動として存在していた。明治 33 年(1900 年)の選挙法改正で納税額が「10 円以上」から「直接国税 10 円以上」へ、明治 35 年(1902 年)に「直接国税 3 円以上」へと段階的に緩和されてきたが、なお有権者は人口の約 3% にすぎなかった。

第一次護憲運動(1912-1913 年)による大正政変、米騒動(1918 年)、大戦景気と労働運動の高揚、原敬の本格的政党内閣(1918-1921 年)など、大正前半の政治社会の激動の中で、「普通選挙制実現」は政党政治の中心的争点となった。原敬は普選には消極的だったが、原暗殺(1921 年 11 月、東京駅)後の高橋是清・加藤友三郎・第 2 次山本権兵衛・清浦奎吾と続く内閣で、議論は徐々に煮詰まっていった。

転機は大正 13 年(1924 年)1 月成立の清浦奎吾内閣(貴族院中心の超然内閣)である。これに対し、加藤高明(憲政会)・高橋是清(政友会)・犬養毅(革新倶楽部)が「護憲三派」を組織、第二次護憲運動を起こした。総選挙(5 月)で勝利し、6 月 11 日に加藤高明を首班とする護憲三派内閣が成立。普選法の制定はこの内閣の最大の政策公約だった。

5 月 5 日 — 普通選挙法公布

大正 14 年(1925 年)3 月 29 日、衆議院本会議で普通選挙法案が修正可決。3 月 30 日、貴族院でも一部修正の上で可決。5 月 5 日、勅令により公布された。施行は 2 年後の昭和 3 年(1928 年)2 月 20 日、第 16 回衆議院議員総選挙からである。

法律の主な内容は次の通り。

| 項目 | 改正前 | 改正後 | | 選挙権 | 満 25 歳以上の男性、直接国税 3 円以上納税 | 満 25 歳以上のすべての男性 | | 被選挙権 | 満 30 歳以上の男性、直接国税 3 円以上納税 | 満 30 歳以上のすべての男性 | | 有権者数 | 約 307 万人(人口比 5.5%) | 約 1240 万人(人口比 20.8%) | | 投票方式 | 単記式 | 中選挙区制・単記投票 | | 除外規定 | — | 貧困により公私の救助を受ける者は選挙権なし(後に削除) |

女性参政権はなお除外された。完全な普通選挙(女性含む、満 20 歳以上)の実現は、戦後の昭和 20 年(1945 年)12 月の衆議院議員選挙法改正、翌昭和 21 年(1946 年)4 月の総選挙まで待たねばならなかった。

治安維持法とセット

普選法公布の 13 日前、大正 14 年(1925 年)4 月 22 日、治安維持法が公布されている。両法は明治の議会以来の「自由と統制」の戦前期日本の核心を、最も鮮やかに同時に体現する立法措置だった。

治安維持法の核心条文(第 1 条)は次の通り。

「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」

「国体」(天皇を中心とする国家体制)を変革すること、または私有財産制度を否認することを目的とする結社を取締対象とし、これは事実上、共産党・無政府主義団体を狙い撃ちにする規定だった。

政府(加藤高明首相・若槻禮次郎内相)の議会答弁では「治安維持法は普通選挙の実施に伴い社会主義者の議会進出が予想される中、健全な政党政治を守るための保護法である」と説明された。一方、議会反対派(無産政党系・社会民衆党系)からは「普通選挙の精神に反する」「言論・思想の弾圧法だ」との批判が出された。

実際、治安維持法は施行 3 年後の昭和 3 年(1928 年)6 月の改正で最高刑を死刑に引き上げ、同年の三・一五事件(共産党員 1,600 名一斉検挙)を皮切りに、昭和期の思想弾圧の中核法令となった。さらに昭和 16 年(1941 年)の改正で、宗教団体・自由主義者も取締対象となり、戦時下の言論統制を支える法的根拠となった。

昭和 3 年 2 月 — 初の普通選挙

普選法の施行を受けて、昭和 3 年(1928 年)2 月 20 日、第 16 回衆議院議員総選挙が実施された。投票率 80.4%、当選議員 466 名。これが日本史上初の男子普通選挙である。

無産政党系(労働農民党・社会民衆党・日本労農党など)から 8 名が当選。山本宣治(京都 2 区、労働農民党)は初当選の代表的政治家として知られる。山本は議会で治安維持法改正案の反対演説を行い、その後の昭和 4 年(1929 年)3 月 5 日、神田の旅館で右翼青年に刺殺される(山宣事件)。普選法と治安維持法のセットが生んだ最初期の政治的暴力だった。

加藤高明は普選法公布の半年後、大正 14 年(1925 年)8 月に護憲三派が解消、憲政会単独内閣を組織。続く議会運営の激務の中、健康を蝕まれ、大正 15 年(1926 年)1 月 28 日、首相官邸で死去。享年 67。男子普通選挙の初実施(1928 年)は見届けることなく世を去った。

歴史的影響

  1. 大正デモクラシーの到達点 納税額制限のない男子普通選挙の実現は、大正デモクラシーが具体的制度として結実した最重要事象である。原敬・高橋是清・加藤友三郎加藤高明と続いた政党内閣期の政治的達成の頂点として、戦前日本史に刻まれた。

  2. 治安維持法と思想弾圧の起点 普選法とセットで公布された治安維持法は、昭和期の思想弾圧体制の中核として機能した。共産党員・社会主義者の逮捕、学者・宗教家・自由主義者への弾圧拡大、横浜事件(1942-1945 年)に至るまで、戦前日本の言論統制を象徴する法律となる。

  3. 無産政党の国政進出 昭和 3 年初の普選で無産政党 8 名が当選、続く昭和 5 年(1930 年)・昭和 7 年(1932 年)・昭和 11 年(1936 年)の総選挙では無産政党系議員数が増加していく。社会民衆党・日本労農党・社会大衆党などの系譜は、戦後の日本社会党・民主社会党に連なっていく。

  4. 政党政治期(憲政の常道)の頂点 加藤高明 → 若槻禮次郎 → 田中義一 → 浜口雄幸 → 若槻禮次郎(第二次) → 犬養毅と続く政党内閣期(1924-1932 年)は、普選法と治安維持法の二極を抱えながらの「憲政の常道」期だった。五・一五事件(1932 年 5 月)の犬養毅暗殺で終焉する、戦前日本の政党政治のピーク期である。

関連する偉人とその役割

加藤 高明(第 24 代内閣総理大臣)

愛知県名古屋出身、東京大学法学部首席卒、三菱財閥創業者・岩崎弥太郎の女婿。外相 4 度(日本史上最多)を経て、護憲三派内閣で首相に就任。

加藤内閣は普通選挙法・治安維持法・日ソ基本条約(1925 年 1 月、対ソ国交樹立)・陸軍 4 個師団削減という、大改革を立て続けに実行した。普選法と治安維持法を同時に立法したのは、加藤の議会内の政治判断(社会主義への警戒と政党政治の保護を両立させる)の結果である。

大正 15 年(1926 年)1 月、議会開会式直後に体調を崩し、5 日後に首相官邸で死去。現職首相の自然死としては原敬(暗殺、1921 年)に次ぐ 2 例目だった(原は暗殺、加藤は病死)。本霊園 1 種ロ 8 号 1・14 側に眠る。同区画には犬養毅浜口雄幸井上準之助牧野伸顕など、大正末から昭和初期の政党政治家が並ぶ。

関連する作品

  • 升味準之輔『日本政党史論』(東京大学出版会) — 普選法・治安維持法成立の政治過程を党派対立から精緻に分析
  • 三谷太一郎『大正デモクラシー論』(中央公論社、1974 年) — 普選運動から普選法成立までの大正期政治史の古典的研究
  • NHK スペシャル『憲政の常道・加藤高明と政党政治の時代』 — 護憲三派内閣の成立から普選法公布までを再構成した歴史ドキュメンタリー

参考資料

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