佐藤 義亮
さとう ぎりょう
Sato Giryo
新潮社創業者。雑誌『新潮』を 1904 年に創刊し、自然主義文学から世界文学全集まで近代日本の出版文化を半世紀にわたって牽引した秋田・角館出身の出版人。
新潮社を一代で築いた出版王
佐藤義亮は、新潮社の創業者である。明治 29 年(1896 年)、17 歳で東京に出て 「新声社」を起こし、明治 37 年(1904 年)に 「新潮社」と社名を改めて月刊文芸誌 『新潮』を創刊。これが現在も続く 日本最古の文芸雑誌となる。
大正末から昭和初期にかけては 「世界文学全集」「日本文学全集」などの円本ブームを牽引し、新潮社を岩波書店・改造社と並ぶ三大出版社に押し上げた。島崎藤村・田山花袋ら自然主義文学の発信、谷崎潤一郎・川端康成・井伏鱒二らの育成、戦後は新潮文庫・「芥川賞・新潮文芸賞」 — 半世紀にわたって日本の文芸出版の主軸を作り続けた。
「文学を愛する出版人」 — 佐藤を語る言葉は常にこの一語に収斂する。
角館の小商人の家から、徒手空拳で上京
明治 11 年(1878 年)2 月 18 日、秋田県仙北郡角館町(現・仙北市)の小商人の家に生まれる。本名は儀亮(よしすけ)、後に「義亮(ぎりょう)」と号した。
幼少から読書好きで、家業の手伝いをしながら独学で文学・漢学を学ぶ。明治 25 年(1892 年)、14 歳で角館の小新聞社「角館新聞」の植字工となり、活版印刷の現場で出版業の基礎を覚えた。
明治 29 年(1896 年)、17 歳で 単身上京。芝・神明前の活版印刷所に住み込みの植字工として働きながら、夜は文学修業に励んだ。同年中に同人雑誌 『新声(しんせい)』を創刊。これが新潮社の原点となる。
明治 37 年、雑誌『新潮』創刊
『新声』は次第に読者を獲得し、明治 30 年代には自然主義文学の評論で文壇に影響力を持つようになる。
明治 37 年(1904 年)5 月、佐藤は出版社名を 「新潮社」に改称、月刊文芸誌 『新潮』を創刊した。創刊号には島崎藤村・田山花袋・正宗白鳥らが寄稿。「文芸の真価を問う」という編集方針は、当時の文壇に新風を吹き込んだ。
『新潮』は 田山花袋『蒲団』(1907 年) を発表して自然主義文学のブームを巻き起こし、徳田秋声・島崎藤村・正宗白鳥らの作品発表の場として、日本近代文学の主軸雑誌となった。
円本ブームを牽引した『世界文学全集』
大正 15 年(1926 年)、佐藤は新潮社から 『世界文学全集』全 57 巻の刊行を始めた。1 冊 1 円(当時の労働者の日給程度)で世界の名作を読める 「円本」は、改造社の『現代日本文学全集』と並んで爆発的な売れ行きを記録。
新潮社は刊行直後に予約読者 25 万人を獲得し、本社ビルを建て直すほどの躍進を遂げた。続く 『日本文学全集』『近代戯曲集』も成功し、新潮社は日本三大出版社の一角を不動のものとした。
円本ブームは出版を 大衆消費財に変えた革命であり、佐藤義亮は日本の出版資本主義を確立した最大の功労者となった。
新潮文庫と「芥川賞・直木賞時代」の出版人
昭和 4 年(1929 年)、佐藤は 新潮文庫を創刊。岩波文庫の翌年スタートだったが、海外文学・現代日本文学を中心とした品揃えで独自の地位を築いた。
昭和 10 年代から戦後にかけて新潮社は 谷崎潤一郎・川端康成・横光利一・井伏鱒二・小林秀雄・三島由紀夫らを擁し、新潮新人賞・新潮社文学賞を制定。「文芸の新潮」という看板を確立した。
昭和 26 年 5 月 12 日、東京で逝去
佐藤義亮は、戦時下の出版統制を経て戦後の出版復興期まで現役で社主を務めた。昭和 26 年(1951 年)5 月 12 日、東京で死去。享年 73。
新潮社の経営は息子・佐藤義夫(2 代目社長)に引き継がれ、戦後の文芸出版を牽引した。
親族の著名人
- 長男・佐藤 義夫 — 新潮社 2 代目社長。戦後の新潮社復興を主導
- 三男・佐藤 亮一 — 新潮社 3 代目社長、出版人。戦後の純文学・大衆文学の両輪を支えた
- 佐藤家は現在も新潮社のオーナー家として続く
逸話・エピソード
14 歳の植字工から始まる出版人生
明治 25 年(1892 年)、佐藤は 14 歳で角館の小新聞社で植字工となった。当時の活版印刷は鉛活字を一字ずつ手で拾って組む重労働で、まだ少年だった佐藤は深夜まで活字を組んだ。「印刷の現場を知らない出版人にはなれない」という信念は、この少年期の経験から生まれた。後年、新潮社が日本最大の出版社の一つになった後も、印刷所の現場を巡回して職人と直接話す習慣を最後まで失わなかったと伝わる。
17 歳、徒手空拳の上京
明治 29 年(1896 年)、17 歳の佐藤は秋田から東京まで汽車賃を工面するために家財を売り、ほとんど一銭も持たずに上京した。芝・神明前の活版印刷所に住み込みで雇われ、夜は文学書を読み続けた。同年中に同人誌『新声』を創刊しているが、当時の佐藤の生活は印刷所の片隅で寝起きする極貧の青年だった。新潮社のすべての始まりが、この少年の独立心一つにあった。
「赤帯」が育てた読書文化
大正 15 年(1926 年)に始まった『世界文学全集』(円本)は、1 冊 1 円(当時の労働者の日給程度)で世界文学が読める革命的な企画だった。表紙に巻かれた赤い帯と装丁は当時の人々に強烈な印象を与え、家に揃える「文学全集」が中流家庭の標準的な書棚風景となった。日本の読書文化を大衆化したこの一冊の本が、佐藤の編集者人生の最大の遺産である。
青山霊園に眠る
佐藤義亮の墓は、青山霊園 1種イ5号22側。同じ「1種イ5号」の区画には、後藤新平(1 側)・佐野常民(26 側)・大木喬任(7 側)など、明治を作った政治家・実業家たちが眠る。
文芸出版人が、明治の元勲たちと同じ区画に眠っている — 「書物もまた、近代日本を作った」と語りかけているかのような配置である。




