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白峰 駿馬

しらみね しゅんめ

Shiramine Shunme

越後長岡藩士、海援隊・太極丸船将。維新後にアメリカで造船術を学び、白峯造船所を経営した日本近代造船業の先駆者。

生没年
出身地
越後国長岡(現・新潟県長岡市)
死没地
東京
時代
江戸・明治
役職
実業家・造船業
区画
1種ロ5号8側
タグ
長岡藩 / 海援隊 / 神戸海軍操練所 / 造船 / 米国留学

海援隊から日本造船業の先駆へ

白峰駿馬は、越後長岡藩士・鵜殿瀬左衛門の三男として生まれ、勝海舟の門下生・神戸海軍操練所伝習生・坂本龍馬の海援隊員と若年期に幕末の海事の現場を渡り歩いた人物である。海援隊では太極丸の船将を務め、慶応3年(1867年)から長崎・大坂を拠点に活動した。

戊辰戦争後、菅野覚兵衛(海援隊員)と共に米国へ留学。ラトガース大学・ニューヨーク海軍工廠で造船術を学び、1874年(明治7年)に帰国。海軍省で洋式帆船「白峰丸」を建造した後、明治11年(1878年)に白峯造船所を独立開業した。横浜・東京で和洋折衷の小型船を建造、日本近代造船業の先駆者の一人として知られる。明治42年(1909年)4月1日、東京で死去。享年63。

長岡藩士から勝海舟門下へ

弘化4年(1847年)6月17日(陽暦)、越後国長岡藩(現・新潟県長岡市)で長岡藩士・鵜殿瀬左衛門の三男として生まれる。本名は鵜殿豊之進、後に白峰駿馬と改名した。

文久2年(1862年)、15歳で江戸に出て勝海舟の門下に入る。海舟は勝海軍塾を主宰しており、ここで西洋式航海術と海軍学を学んだ。文久3年(1863年)、海舟の創設した神戸海軍操練所に伝習生として参加、坂本龍馬・伊藤俊輔(博文)・近藤長次郎らと共に海軍術を修めた。

海援隊・太極丸船将

元治元年(1864年)、長岡藩を脱藩。神戸海軍操練所が幕府によって閉鎖された後、龍馬とともに長崎に移り、亀山社中(後の海援隊)に参加した。

慶応3年(1867年)、海援隊が運用する太極丸の船将を務める。海援隊は薩摩藩・土佐藩などの援助を受けた龍馬の私設海軍兼商社で、長崎-大坂間の貿易・荷役を担当した。同年11月の龍馬暗殺(近江屋事件)で海援隊は瓦解する。

米国留学 — 造船術を持ち帰る

明治2年(1869年)、菅野覚兵衛(海援隊員、後の海軍少佐)と共に米国へ官費留学。ニュージャージー州のラトガース大学(オランダ改革派教会系の伝統校、後の岩倉使節団もここで学生を視察)とニューヨーク海軍工廠で5年間、造船術・船舶機関学を学んだ。

明治7年(1874年)帰国。海軍省に出仕し、洋式帆船「白峰丸」(自身の改名後の姓を冠した名前)を設計・建造した。

白峯造船所 — 民間造船の先駆

明治11年(1878年)、海軍省を退いて東京・隅田川河口で白峯造船所を独立開業。和洋折衷の小型蒸気船・帆船を建造し、官民の発注に応えた。同時代に石川島平野造船所(平野富二、後のIHI)・川崎造船所(川崎正蔵)などが立ち上がりつつあり、白峰の白峯造船所はその先駆者の一人として位置づけられる。

明治21年(1888年)、長岡で建造した小型蒸気船「越後丸」が信濃川を航行、地元の海運業に貢献。明治後期にかけて造船業から退いた後、東京で海事関係の顧問業を続けた。

明治42年4月、東京で死去

明治42年(1909年)2月、勲六等瑞宝章を授与。同年4月1日、東京で死去。享年63。海援隊で生き残った数少ない隊員の一人として、龍馬の死後42年を生きた人物となった。

逸話・エピソード

15 歳の長岡藩脱藩

文久 2 年(1862 年)、15 歳の白峰は江戸で勝海舟の門下に入った。さらに元治元年(1864 年)、神戸海軍操練所が幕府によって閉鎖された際に、龍馬とともに長崎へ移るために長岡藩を脱藩している。当時の脱藩は重罪で、本人も家族も追及を受ける覚悟が必要だった。10 代の若さで藩を捨てて海軍の道を選んだこの決断が、後の海援隊・米国留学・近代造船業への道を開いた。

龍馬の死から 42 年を生きた海援隊員

慶応 3 年(1867 年)11 月、近江屋で坂本龍馬が暗殺されたとき、白峰は太極丸の船将として長崎に在泊していた。龍馬の急死で海援隊は瓦解し、隊員たちはそれぞれの道を歩むことになる。白峰は米国留学を経て民間造船業の道を選び、龍馬の死から 42 年を生きた。海援隊員の中で「龍馬の海事の夢」を実業の形で最も長く継承した一人となった。

ラトガース大学で出会った異邦の友

明治 2 年(1869 年)から 5 年間、白峰はニュージャージー州のラトガース大学で学んだ。同地には日本人留学生が複数おり、後の岩倉使節団の派遣留学生もここで学んでいる。白峰は造船術・船舶機関学を学ぶ傍ら、米国の工業文明と教育制度を実地に観察し、帰国後に白峯造船所を立ち上げる原点とした。

青山霊園に眠る

白峰駿馬の墓は、青山霊園 1種ロ5号8側にある。同じ青山霊園には、海援隊の同志ではないが、勝海舟門下の同窓・坂本龍馬の同時代を生きた人々(後藤象二郎吉井友実平井加尾有村次左衛門海江田信義など)が眠る。

長岡藩士の三男として生まれ、龍馬の海援隊で太極丸を指揮し、米国で造船術を学んで帰国、明治期の民間造船業を切り開いた人物 — 白峰駿馬の生涯は、幕末から明治の日本がどう近代造船業を立ち上げたか、その実務の系譜を伝える静かな足跡である。

墓所の位置

この偉人を含む散歩コース

参考資料

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