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犬丸 徹三

いぬまる てつぞう

Inumaru Tetsuzo

帝国ホテル中興の祖。ライト館の運営から戦中・戦後の難局を乗り越え、半世紀にわたって日本を代表する国際ホテルを支えた支配人・社長。

生没年
出身地
富山県氷見市
死没地
東京
時代
大正・昭和
役職
帝国ホテル支配人・社長
区画
1種イ5号8側
タグ
帝国ホテル / ホテル経営 / ライト館 / 国際ホテル

「日本のグランドホテル」を育てた男 — 帝国ホテル中興の祖

犬丸徹三は、大正 13 年(1924 年)に 帝国ホテル支配人に就任して以来、半世紀にわたって日本を代表する国際ホテルを率いた 「日本のホテルマン」の象徴的存在である。

帝国ホテルライト館(フランク・ロイド・ライト設計、大正 12 年/1923 年 9 月 1 日落成・関東大震災当日)の運営を開業初期から担当。戦前の外国賓客接遇・戦中の軍部接収・戦後の GHQ 接収と返還・1964 年東京オリンピックまで、帝国ホテルの歴史そのものを生きた経営者であった。

支配人 → 副社長 → 社長 → 会長と、戦前から戦後にかけて 50 年余を帝国ホテルに捧げた。「日本のサービス業の頂点を独力で作り上げた」存在として、日本ホテル経営史で必ず名が挙がる人物である。

富山の小村から、ホテル業界へ

明治 20 年(1887 年)8 月 30 日、富山県氷見郡(現・氷見市)の漁村に生まれる。少年期に父を亡くし、苦学して 東京に出る。

明治・大正初期、シカゴ・ニューヨーク・ロンドンのグランドホテルで修業。帰国後の大正 13 年(1924 年)、帝国ホテル支配人に抜擢された。37 歳の若さでの就任は、当時の 欧米ホテル経営を直接知る稀少な人材を求めた帝国ホテル経営陣の判断であった。

帝国ホテル・ライト館の運営

大正 12 年(1923 年)9 月 1 日、帝国ホテル新本館(ライト館)が落成披露の当日、関東大震災が発生。東京の多くの建物が崩壊する中、ライト館は無傷で生き残り、避難民・外国人の収容に活躍した。「震災に耐えたホテル」として、ライト館は明治・大正・昭和の 東京のランドマークとなった。

犬丸が支配人として運営したライト館時代の宿泊客には、チャールズ・チャップリン(1932 年来日、五・一五事件で犬養首相暗殺の最中に滞在)、ヘレン・ケラー、ベーブ・ルース、マレーネ・ディートリッヒ、マリリン・モンロー(新婚旅行の 1954 年)、歴代の 米国大統領・英国王族ら、20 世紀の国際的著名人が並ぶ。

「犬丸さんがいなければ、帝国ホテルは日本の代表ホテルになれなかった」 — 帝国ホテルの伝説的従業員たちが口を揃えて語る言葉である。

戦中・戦後 — 接収と返還

太平洋戦争中、ライト館は 軍部の接収を受けつつも営業を継続。昭和 20 年(1945 年)9 月、終戦直後、ライト館は GHQ に接収され 連合軍宿舎となった。犬丸は 接収中も帝国ホテルの建物・スタッフの維持を続けた。

昭和 27 年(1952 年)、サンフランシスコ平和条約発効により GHQ 接収解除。帝国ホテルは民間ホテルとして再出発。犬丸は 副社長 → 社長(昭和 28 年/1953 年就任)として、戦後復興期の帝国ホテルを率いた。

昭和 39 年(1964 年)の 東京オリンピックは、犬丸社長時代の帝国ホテルにとって最大の試金石となった。多数の外国 VIP・選手団を接遇し、日本のホテル業界の国際水準引き上げを主導した。

昭和 43 年(1968 年)、老朽化したライト館の 取り壊し(現在の 本館・タワー館は昭和 45 年/1970 年に新築開業)。犬丸はライト館解体時に 「47 年間の戦友を失う」と涙したと伝わる。

昭和 56 年 2 月 19 日、東京で逝去

帝国ホテル社長を退任後も会長として顧問的に関与。昭和 56 年(1981 年)2 月 19 日、東京で死去。享年 93。

ライト館解体から 13 年、帝国ホテルが 大幅近代化を遂げた時代を見届けて逝った。

親族の著名人

逸話・エピソード

チャップリンと五・一五事件

昭和 7 年(1932 年)5 月、世界的喜劇王チャップリンが帝国ホテルに滞在中、犬養毅首相暗殺の五・一五事件が発生した。当初テロリストの計画には「チャップリンも殺害して英米との戦争のきっかけにする」案があったとされ、犬丸はその情報を耳にしてから滞在中のチャップリンの動線を細かく管理、相撲観戦に同行するなど機転で危機を回避した。後年チャップリンは「あのときの帝国ホテルが命を救ってくれた」と回想したと伝わる。

GHQ 接収中も「ライト館の品位」を守れ

昭和 20 年(1945 年)9 月、ライト館が GHQ に接収された際、犬丸は残留スタッフに「占領軍の客であろうとも、お客様であることに変わりはない。サービスの品位を一寸たりとも落とすな」と訓示したと伝わる。占領軍将校・記者団からも「東京で最も礼節を保ったホテル」と評されたのは、この姿勢が浸透していたためであった。返還後の昭和 27 年に内外の常連客が一気に戻ってきた背景には、接収期にもブランドを守り抜いた犬丸の徹底があった。

ライト館解体に流した涙

昭和 43 年(1968 年)のライト館解体時、80 歳の犬丸は工事現場に立ち、剥がされていく大谷石の壁に手を当てて長く動かなかったと現場関係者が証言している。「47 年間の戦友を失う」と一言だけ呟き、ハンカチで目頭を押さえて引き返したという。フランク・ロイド・ライトの最高傑作の一つとされた建築への、ホテルマンとしての別れの瞬間であった。

青山霊園に眠る

犬丸徹三の墓は、青山霊園 1種イ5号8側。同じ「1種イ5号」の区画には、博愛社を創設した 佐野常民(26 側)、後藤新平(1 側)、新潮社創業者 佐藤義亮(22 側)、森永製菓創業者 森永太一郎(2 側)、緒方竹虎(17 側、本日既登録)など、近代日本の制度設計者・実業家・出版人が並ぶ。

「明治の実業家+大正の出版人+戦前のジャーナリスト+昭和のホテルマン」が同じ区画に眠る配置は、青山霊園の 「1種イ5号」を 「近代日本の制度・産業・サービス業の墓地」として象徴している。

墓所の位置

この偉人を含む散歩コース

参考資料

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