西南戦争終結(城山陥落)
西郷隆盛が鹿児島・城山で自刃し、西南戦争が終結。日本最大の士族反乱が終わり、不平士族の武力抵抗の時代が幕を閉じた。
西郷自刃 — 武士の時代の終焉
明治 10 年(1877 年)9 月 24 日午前、鹿児島・城山の岩崎谷で西郷隆盛が自刃し、日本最後の大規模士族反乱・西南戦争が終結した。7 か月にわたる激戦で薩軍 1 万 4,000 のうち約 6,000 が戦死、政府軍も約 6,500 を失った。総戦費 4,200 万円は当時の国家予算に匹敵し、明治政府の財政を圧迫してインフレ(西南戦争インフレ)を招いた。
しかし西南戦争の終結が日本史にもたらしたものは、戦費の問題を遥かに超えていた。武士階級による組織的武力反乱の時代がここで終わり、明治政府の徴兵軍隊と中央集権体制が決定的に確立した。維新の三傑の一人・西郷が、自ら作った政府の軍隊に倒される逆説的な結末は、明治国家の成立を象徴する場面として、以後 150 年にわたり日本人の歴史的記憶に刻まれている。
背景
明治 10 年 2 月 15 日に鹿児島を出発した薩軍は、熊本城の籠城戦で予想外の苦戦を強いられ、3 月から 4 月にかけての田原坂・吉次峠の決戦で政府軍の圧倒的火力に押された。田原坂の戦い(3 月 4 日 〜 20 日)は近代日本の内戦で最も激しい白兵戦と砲撃戦の応酬となり、薩軍は精鋭の篠原国幹を失う。
4 月 14 日に熊本城が政府軍に救援され、薩軍は南へ後退を始める。5 月 〜 6 月、人吉・宮崎・延岡を転戦するが、政府軍は黒田清隆率いる衝背軍を背後に投入し、薩軍は四方を包囲される。8 月 17 日の和田越の戦いで西郷自身が陣頭指揮を執るが大敗、薩軍は再起不能の打撃を受けた。
8 月 18 日、西郷は重い決断を下す。負傷者・新兵を解散させ、選りすぐった精鋭約 600 のみを率いて、政府軍の包囲を突破し故郷・鹿児島へ帰還することを決意した。「死地を求めて生まれた地へ戻る」決断であった。
9 月 1 日 〜 24 日 — 城山籠城
8 月 19 日、西郷以下 600 余は可愛岳(えのだけ)の険路を強行突破。9 月 1 日、奇跡的な転戦の末に鹿児島・城山に帰着した。城山は鹿児島市街を見下ろす標高 107 m の小丘で、戦国期の島津氏の山城跡である。
政府軍は山県有朋陸軍中将の指揮下に約 5 万を集結、城山を完全包囲した。9 月 14 日、山県は西郷に降伏を勧告する書簡を送るが、西郷は応じなかった。9 月 23 日深夜、山県は総攻撃を命令する。
9 月 24 日午前 4 時、政府軍は一斉砲撃と総攻撃を開始した。西郷は岩崎谷の洞窟陣地から出撃し、桐野利秋・村田新八・別府晋介・桂久武ら最後の幹部とともに、政府軍の銃撃の中を進む。午前 7 時頃、西郷は腿と腹に銃弾を受けて倒れた。
倒れた西郷は別府晋介に向かって「晋どん、もうここでよか」と告げたとされる。別府はその意を汲んで西郷を介錯した。享年 49(満 50)。続いて桐野利秋・別府晋介・村田新八・桂久武も自決または戦死し、薩軍の幹部は全滅した。
午前 9 時頃、城山の戦闘は終わった。山県有朋は西郷の遺体を確認し、「翁、もはやこれまでなり」と頭を下げたと伝えられる。盟友・大久保利通は東京で訃報を受け取り、ひそかに涙を流したという。
歴史的影響
1. 不平士族の武力闘争の終わり
西南戦争を最後に、明治政府に対する士族の組織的武力反乱は完全に終息する。残された反政府運動は、板垣退助の自由民権運動のような言論・議会主義の方向へ進む。武士の時代の物理的終焉が城山で完成した。
2. 徴兵軍隊の優位の確定
農民を主体とする徴兵軍隊が、薩摩士族の精鋭を打ち破ったことは、近代軍制の優越を社会に決定的に示した。武士でなくとも国を守る軍人になれるという観念が定着し、以後の日清・日露戦争で発揮される国民軍の原型が完成した。
3. 紀尾井坂の変への連鎖
西郷を討った大久保利通は、翌明治 11 年(1878 年)5 月 14 日、紀尾井坂で石川県士族・島田一郎らに暗殺される。維新三傑(西郷・木戸・大久保)はわずか 1 年半の間に全員世を去ることになる。城山陥落は明治政府の創設世代の終焉の起点でもあった。
4. 西郷神話の形成
西郷隆盛は死後すぐに「賊軍の首魁」から「悲劇の英雄」へと変貌していく。明治 22 年(1889 年)、大日本帝国憲法発布の大赦で西郷の名誉は回復され、明治 31 年(1898 年)には東京・上野公園に西郷隆盛像が建立される。「敬天愛人」を掲げた最後の武士という日本人共通の象徴像が、城山の死とともに生まれた。
関連する偉人とその役割
西郷 糸子(西郷隆盛の妻)
開戦から 7 か月、糸子は鹿児島に留まり、夫の戦況を遠く聞いていた。9 月 24 日午前、城山の戦闘音は鹿児島市街にも響いた。糸子は 35 歳で未亡人となる。長男・寅太郎(11)、次男・午次郎(8)、三男・酉三(5)を抱え、「賊軍の家族」として明治政府の処分を待つ立場に置かれた。しかし明治政府は西郷家に苛烈な処断を下さず、明治 22 年の名誉回復後は寅太郎が侯爵を授爵、糸子自身は大正 11 年(1922 年)に 80 歳で天寿を全うする。45 年間の未亡人生活を生き抜いた糸子の半生は、本サイト唯一の女性偉人として記録される。
黒田 清隆(政府軍参軍・陸軍中将)
衝背軍司令長官として薩軍の背後を衝く戦略を主導した。八代から九州西岸を北上して薩軍の補給を断ち、宮崎・延岡方面の包囲戦を進めた。薩摩出身でありながら西郷を討つ側に立つ複雑な立場で、戦後は西郷の遺児・寅太郎の処遇に配慮するなど、私的には旧友への情を保ち続けた将官である。
高島 鞆之助(別働第 1 旅団司令長官)
南九州方面で薩軍と直接対峙した薩摩出身の指揮官。同郷の旧友たちと戦う深い葛藤の中で戦闘指揮を全うし、戦後は陸軍中将として明治陸軍の重鎮へ昇進していく。彼の戦争体験は、後年の拓殖大学創設(明治 33 年)で発揮される「異質な人々をまとめる組織力」の原点となった。
川上 操六(政府軍少佐)
29 歳の若手将校として政府軍に従軍、九州各地を転戦した。城山陥落の場面で直接の指揮位置にはなかったが、田原坂以降の作戦の現場経験が、後年の参謀総長・日清戦争作戦立案の素地となる。西南戦争は川上にとって「陸軍の頭脳」へ続く出発点であった。
関連する作品
- 司馬遼太郎『翔ぶが如く』(文藝春秋、1972-76 年) — 城山陥落・西郷自刃の場面を、大久保利通の慟哭とともに描く名場面で知られる
- NHK 大河ドラマ『翔ぶが如く』(1990 年) — 西田敏行演じる西郷の最期の場面は、日本テレビドラマ史に残る名シーンと評価される
- NHK 大河ドラマ『西郷どん』(2018 年、鈴木亮平が西郷を演じる) — 西郷視点での城山自刃を 2010 年代の映像技術で再構築
- 海音寺潮五郎『西郷隆盛』(全 14 巻、1967-77 年連載) — 西郷の生涯を最も精緻に追った長編伝記