齋藤 隆夫 (1870-1949)の肖像
齋藤 隆夫の肖像 Wikimedia Commons / Public Domain
P E R S O N

齋藤 隆夫

さいとう たかお

Saito Takao

立憲民政党の代議士。1936 年「粛軍演説」、1940 年「反軍演説」で軍部を批判し、衆議院議員を除名された自由主義政治家。

生没年
出身地
兵庫県出石郡室埴村(現・豊岡市)
死没地
東京都
時代
大正・昭和
役職
政治家・弁護士
出身校
東京専門学校(現・早稲田大学) / エール大学
受勲
勲一等瑞宝章
区画
1種イ3号2側
タグ
立憲民政党 / 反軍演説 / 粛軍演説 / 議会主義 / 自由主義 / 兵庫県

議会の獅子 — 軍部と最後まで闘った代議士

齋藤隆夫は、立憲民政党を代表する代議士にして、日本議会政治史に「議会の獅子」の名で刻まれる自由主義政治家である。明治 45 年(1912 年)に初当選してから戦中の除名・戦後復活まで、足かけ 37 年にわたって衆議院議員を務め、軍部の台頭する 1930 年代に正面から議会の言論で抵抗を続けた稀有な存在である。

兵庫県出石郡の農家に生まれ、苦学して東京専門学校(現・早稲田大学)を卒業し、米国エール大学に学んだ。弁護士から政界に転じ、犬養毅浜口雄幸らと議会政党政治の中心で活動した。背は低く、体は痩せ、健康にも恵まれなかった一人の代議士が、軍部の圧力に屈せず議会で正論を吐き続けた事実は、戦前日本政治史の一筋の光として語り継がれている。

二・二六事件直後の昭和 11 年(1936 年)の「粛軍演説」、日中戦争長期化の最中、昭和 15 年(1940 年)の「支那事変処理に関する質問演説」(後に「反軍演説」と呼ばれる)。二つの大演説で軍部の独走と戦争目的の曖昧さを糺し、議員除名処分を受けた。戦後、公職追放を受けずに政界に復帰し、第一次吉田内閣で国務大臣を務めた。著書『回顧七十年』は戦前議会政治の貴重な内側からの証言である。

粛軍演説 — 二・二六事件の直後、議場の沈黙を破る

昭和 11 年(1936 年)2 月 26 日、二・二六事件勃発。高橋是清・斎藤実らが青年将校に殺害され、日本の政党政治家たちは恐怖に縛り付けられた。事件後の衆議院は、軍に対して何も言えない議場と化していた。

その同年 5 月 7 日、第 69 議会の本会議場。齋藤隆夫は壇上に立ち、約 1 時間半にわたって「粛軍演説」を行った。軍人の政治関与を厳しく批判し、軍の規律と政治の領分の区別を求める内容で、軍部の暗黙の圧力下で議会が萎縮するなか、これを敢えて口にした代議士は隆夫ただ一人だった。傍聴席は静まり返り、議場は割れんばかりの拍手に包まれた。

この演説は新聞各紙が大きく報道し、世論にも大きな反響を呼んだ。軍部にとって齋藤隆夫は要注意人物となり、以後の彼の議会活動は常に憲兵の監視下に置かれることになる。

反軍演説 — 議員除名、それでも沈黙を選ばず

昭和 15 年(1940 年)2 月 2 日、第 75 議会本会議。日中戦争(支那事変)はすでに 2 年半に及び、戦死者は 10 万を超え、戦争目的も終結の見通しも示されていなかった。齋藤隆夫は「支那事変処理に関する質問演説」と題して壇上に立ち、約 1 時間半、政府に詰問した。「聖戦の美名に隠れて国民的犠牲を閑却することがあってはならない」 — 戦争の現実と目的を糺すこの演説は、軍部と一体化した近衛・米内内閣を激震させた。

陸軍は激怒、政民両党も保身に走り、3 月 7 日、衆議院は齋藤の議員除名を決議した。賛成 296、反対 7。除名に反対した 7 名のみが、戦前最後に良心を表明した議員として記録に残る。

しかし齋藤は屈しなかった。除名後の昭和 17 年(1942 年)の翼賛選挙(政府推薦制)に、地盤の兵庫 5 区から非推薦で立候補し、トップ当選を果たした。出石・豊岡の有権者たちが、軍部に楯突いた老代議士に最高得票数で答えた。戦時下の翼賛選挙でこの結果を出したことは、日本選挙史上特筆すべき事実である。

戦後復活、そして死

昭和 20 年(1945 年)8 月、終戦。齋藤隆夫は公職追放の対象とならず、戦後の総選挙で再び当選を重ねた。昭和 21 年(1946 年)、第一次吉田内閣の国務大臣に就任。憲法改正・地方制度改革を担当する重要閣僚として、日本国憲法体制の立ち上げに関わった。

昭和 24 年(1949 年)10 月 7 日、東京で死去。享年 79。墓所は青山霊園 1種イ3号2側。死の前年には大著『回顧七十年』を刊行し、議会人としての半生と戦前政治の内側を後世に残した。同書は今日に至るまで、戦前日本政治史を内部から証言する第一級資料である。

青山霊園に眠る

齋藤隆夫の墓は青山霊園 1種イ3号2側。同じ 1種イ区画一帯には、明治維新の元勲・大久保利通(1種イ2号15側)、文豪・志賀直哉(1種イ2号11側)、歌人・斎藤茂吉(1種イ2号15側)らが眠る。

維新を作った大久保利通、近代文学を作った志賀・斎藤茂吉、そして議会政治を最後まで守ろうとした齋藤隆夫 — 明治・大正・昭和の各時代を代表する人物たちが、青山霊園 1種イ区画の一画に集まっている。郷里・豊岡市出石町には齋藤隆夫記念館「静思堂」があり、自筆原稿・愛用品・「反軍演説」関連資料が保存・公開されている。

墓参り写真

  • 墓所

    — 墓所

墓所の位置

関与した事件

参考資料

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