長谷川 好道 (1850-1924)の肖像
長谷川 好道の肖像 Wikimedia Commons / Public Domain
P E R S O N

長谷川 好道

はせがわ よしみち

Hasegawa Yoshimichi

元帥陸軍大将。日清・日露戦争で活躍し、第二代朝鮮総督を務めるも三・一独立運動の責任で更迭された。

生没年
出身地
周防国岩国(現・山口県岩国市)
死没地
東京都
時代
明治・大正
役職
軍人(元帥陸軍大将)・朝鮮総督
出身校
陸軍兵学寮
受勲
元帥府列せられる(1915 年) / 大勲位菊花大綬章 / 子爵(1907 年) / 伯爵(1916 年)
区画
1種イ20号4側
タグ
元帥陸軍大将 / 日清戦争 / 日露戦争 / 近衛師団長 / 朝鮮総督 / 長州藩岩国 / 三・一独立運動

戊辰の少年兵から元帥へ — 長州が生んだ朝鮮総督

長谷川好道は、戊辰戦争に 18 歳で従軍した少年兵から、日清・日露の両戦役を歩兵指揮官として戦い抜き、元帥陸軍大将・第二代朝鮮総督にまで上り詰めた長州系陸軍の重鎮である。明治・大正期の日本陸軍を実戦面から支え続けた軍歴の長さと、寡黙で部下に厳しい指揮統率で知られた。

嘉永 3 年(1850 年)、周防国岩国(現・山口県岩国市)に岩国藩士の子として生まれる。長州藩支藩の士族として育ち、戊辰戦争では奥羽鎮撫総督府附の隊に加わって会津方面を転戦した。明治新陸軍の発足とともに陸軍兵学寮で正規の士官教育を受け、長州閥の軍人として頭角を現していく。

日清戦争では歩兵第 12 旅団長として成歓・平壌で戦い、日露戦争では近衛師団長として遼陽・沙河・奉天の決戦に投入された。戦後、参謀総長・朝鮮駐箚軍司令官を経て、1915 年に元帥府に列せられる。1916 年から 1919 年まで第二代朝鮮総督を務め、在任中の三・一独立運動を武力で鎮圧し、その責任を問われて更迭された。1924 年没、享年 73。

日清戦争・歩兵第 12 旅団長 — 成歓と平壌の前線で

明治 27 年(1894 年)7 月、日清戦争開戦。長谷川好道は陸軍少将・歩兵第 12 旅団長として朝鮮半島に上陸した。最初の本格戦闘となった成歓の戦い(7 月 29 日)では、清国軍の堅陣に正面攻撃を仕掛けて陣地を奪取。続く 9 月の平壌攻略戦では、北方からの夜襲を担当して玄武門突破に成功し、平壌陥落の決定的な突破口を開いた。

成歓・平壌での旅団長としての働きは大本営に高く評価され、戦後の論功行賞で男爵に叙せられた。歩兵旅団長として実戦の最前線で結果を出した軍人として、長谷川は明治陸軍の中で確たる地歩を築いた。

日露戦争・近衛師団長 — 遼陽から奉天へ

明治 37 年(1904 年)2 月、日露戦争開戦。長谷川好道は陸軍中将・近衛師団長として満州に出征した。近衛師団は天皇直属の精鋭部隊で、その指揮を委ねられたことは長谷川への信頼を物語っている。

近衛師団は遼陽会戦(8 月 - 9 月)、沙河会戦(10 月)、そして奉天会戦(明治 38 年 2 月 - 3 月)とロシア軍との正面決戦すべてに投入された。長谷川は寡黙で部下に厳しい指揮ぶりで知られ、命令一下、近衛師団は決戦の主力陣地を担い続けた。

戦後、長谷川は朝鮮駐箚軍司令官に任じられ韓国併合(1910 年)前後の韓国の治安維持を担う。明治末から大正初期にかけては参謀総長(1912 - 1915 年)として陸軍中枢を率い、大正 4 年(1915 年)1 月 9 日、元帥府に列せられた。陸軍において元帥に列せられた者は明治・大正・昭和を通じて 17 名のみで、長谷川はその一人である。

第二代朝鮮総督と三・一独立運動

大正 5 年(1916 年)10 月、長谷川好道は寺内正毅の後を継いで第二代朝鮮総督に就任した。前任の寺内が「武断統治」と呼ばれる強硬な統治方針を敷き、長谷川もこの路線を継承した。

大正 8 年(1919 年)3 月 1 日、京城(現・ソウル)パゴダ公園で「独立宣言書」が読み上げられ、朝鮮全土に独立を求める示威運動が広がった。三・一独立運動である。長谷川総督府はこれを武力で鎮圧、朝鮮憲兵隊と軍を動員して各地の示威を制圧した。鎮圧過程での死傷者数は大きく、提岩里事件など住民虐殺事件も発生し、国際的にも厳しい批判を浴びた。

事態の重大さを受け、政府は朝鮮総督を交代させ、後任に海軍大将・斎藤実を充てた(同年 8 月)。長谷川は責任を負って総督職を辞し、以後、公式の政務には就かなかった。

大正 13 年(1924 年)1 月 27 日、東京で死去。享年 73。子爵から伯爵に陞爵していた長谷川には、大勲位菊花大綬章が追贈された。戊辰戦争の少年兵から始まり、日清・日露の歩兵指揮官、参謀総長、元帥、朝鮮総督と、明治陸軍が経験したほぼあらゆる職位を歩んだ長い軍歴であった。

青山霊園に眠る

長谷川好道の墓は青山霊園 1種イ20号4側。青山霊園には乃木希典川上操六奥保鞏野津道貫など、長谷川と日清・日露を共に戦った同世代の元帥・大将級軍人たちが多数眠る。

長州閥の軍人として戊辰から大正までを駆け抜けた長谷川の墓は、明治陸軍の主柱が集う青山霊園の一画に静かに置かれている。

墓参り写真

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