野津 道貫 (1841-1908)の肖像
野津 道貫の肖像 Wikimedia Commons / Public Domain
P E R S O N

野津 道貫

のづ みちつら

Nozu Michitsura

陸軍元帥・侯爵。日清戦争で第5師団長として平壌を陥落させ、日露戦争では第4軍司令官として沙河・奉天会戦を戦った薩摩出身の名将。

生没年
出身地
薩摩国(現・鹿児島県鹿児島市)
死没地
東京
時代
江戸・明治
役職
陸軍元帥
爵位
侯爵
受勲
勲一等旭日桐花大綬章 / 功一級金鵄勲章
区画
1種イ1号26側
タグ
陸軍元帥 / 日清戦争 / 日露戦争 / 第4軍司令官 / 侯爵

「西南の役の弟」 — 日清・日露戦争を戦った陸軍元帥

野津道貫は、日清戦争(明治 27-28 年/1894-95 年)で 第 5 師団長として平壌を陥落させ、日露戦争(明治 37-38 年/1904-05 年)で 第 4 軍司令官として沙河会戦・奉天会戦を戦った、明治陸軍の名将である。

明治 39 年(1906 年)、日露戦争の論功により 陸軍元帥に親任された 4 人(大山巌・山県有朋・小松宮彰仁親王・野津道貫)の一人。侯爵に叙された。

兄・野津鎮雄(陸軍中将)とともに「野津兄弟」として知られ、戊辰戦争・西南戦争・日清・日露と、明治日本のすべての主要戦役を戦った薩摩出身の典型的軍人エリートであった。

薩摩の下級武士から戊辰戦争へ

天保 12 年(1841 年)11 月 18 日(陽暦 12 月 30 日)、薩摩国鹿児島郡高麗町(現・鹿児島市)に生まれる。父・野津鎮房は薩摩藩士。下加治屋町に近い場所柄、西郷隆盛・大久保利通川路利良ら薩摩出身者と少年期から親交があった。

戊辰戦争(1868-69 年)では薩摩藩兵として 鳥羽・伏見の戦いから 会津若松攻略まで転戦。兄・鎮雄とともに薩摩藩の砲隊・歩兵を率い、明治新政府の樹立に貢献した。

西南戦争 — かつての故郷との戦い

明治 10 年(1877 年)2 月、西南戦争が勃発。野津は政府軍として九州に出征。第二旅団司令長官として、田原坂・吉次峠など決戦地に部隊を率いた。

「薩摩出身者が薩摩を倒す」という重い構図の中で、野津は 政府軍の中堅指揮官として功績を上げた。同郷の西郷隆盛・桐野利秋らを討つことになった経験は、川路利良と同様、薩摩出身軍人にとって生涯の傷であった。

日清戦争 — 平壌陥落

明治 27 年(1894 年)、日清戦争で 第 5 師団長として朝鮮半島に渡る。同年 9 月 15 日、平壌の戦いで清軍を撃破。平壌陥落は日清戦争の戦局を決定的に変えた緒戦の大勝で、野津の指揮の冴えが内外に評価された。

戦後の論功で 男爵に叙され、後の 子爵昇格(明治 28 年/1895 年)につながる。

日露戦争 — 第 4 軍司令官、沙河・奉天会戦

明治 37 年(1904 年)2 月、日露戦争開戦。野津は 第 4 軍司令官として満州に出征。総司令官・大山巌の指揮下、4 個軍編制(第 1・2・3・4 軍)の一角を担った。

戦後の論功で 功一級金鵄勲章を受章。明治 39 年(1906 年)、大山巌・山県有朋・小松宮彰仁親王とともに 陸軍元帥に親任された。明治 40 年(1907 年)、侯爵昇格。

明治 41 年 10 月 6 日、東京で逝去

日露戦争の戦塵が体に蓄積していたか、野津は元帥就任後ほどなく病に伏す。明治 41 年(1908 年)10 月 6 日、東京・赤坂の自邸で死去。享年 66。国葬が営まれた。

親族の著名人

逸話・エピソード

「黙って勝つ」 — 寡黙な薩摩元帥

野津は同時代の薩摩出身将官の中でも、際立って寡黙だったと伝わる。大山巌が「ヌッペリしているように見えて要所で動く」風格で知られたのに対し、野津は会議で発言が少なく、命令も短く、私的な席でもほとんど自分を語らなかった。「野津元帥の長話を聞いたことがない」 — 部下の将校がそう書き残している。

平壌攻略・沙河会戦・奉天会戦と、戦場では精密な機動を組み立てた指揮官だっただけに、寡黙さと実行力のギャップが「黙って勝つ」評価につながった。同じ薩摩の弁の立つ大山巌、雄弁な児玉源太郎と対照的に、野津の存在感は静かで、しかし最後まで確実だった。

西郷隆盛を斬る側にいた苦しみ

明治 10 年(1877 年)の西南戦争で、野津は政府軍の第二旅団司令長官として九州に出征した。下加治屋町の少年期から西郷隆盛・桐野利秋らと親交のあった野津にとって、薩摩の同郷人を敵として討つのは生涯の傷であった。

田原坂の激戦が終わった後、野津は同郷の戦死者の遺体を前に長く頭を下げ続けたと伝わる。「自分が薩摩を倒した一人になったことを、生涯忘れない」 — そう周囲に漏らしたとも言われる。後年、日清・日露と外征を戦う中でも、野津の中には常に「同郷を斬った男」という意識があった。寡黙さの根の一つは、そこにあったのかもしれない。

青山霊園に眠る

野津道貫の墓は、青山霊園 1種イ1号26側。同じ「1種イ1号」の区画には、明治の元勲・黒田清隆(9 側)、初代文部大臣・森有礼(12 側)、御木本幸吉(11 側)など、明治国家を作った人々が眠る。

薩摩出身で陸軍元帥にまで上り詰めた野津が、同じ薩摩の黒田清隆と同一区画に眠る配置は、薩摩閥が明治国家を作り上げたその軌跡をそのまま地形に刻んでいる。

墓所の位置

関与した事件

この偉人を含む散歩コース

参考資料

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