このコースの楽しみ方
近代日本の科学・医学・教育を一から作った 9 名を、活動期の時系列順に訪ねるコース。江戸末期の蘭学から、明治の医学・農業・衛生・教育、そして昭和の物理学まで、約 150 年にわたる知の系譜が立ち上がる。
- 1790-1854 / 蘭方医・種痘 — 長与俊達(大村藩侍医、長崎・鳴滝塾でシーボルトに学び、解体新書の系譜を継いで大村藩内に種痘を普及、孫の長与専斎にも種痘を施した)
- 1837-1908 / 西洋農法・キリスト教教育 — 津田仙(幕府外国奉行通弁役→ウィーン万博を経て西洋農法を導入、学農社農学校創立、青山学院創設に関与、娘・梅子を米国へ送った)
- 1838-1889 / 英学・明六社 — 何礼之(長崎の唐通事から日本初期の英学者へ、伊藤博文・木戸孝允・井上馨らに英語を教えた明治啓蒙運動の先駆)
- 1838-1902 / 衛生行政 — 長与専斎(初代内務省衛生局長、「衛生」の語を作り医制を制定、近代日本の公衆衛生の骨格を築く。長与俊達の孫)
- 1849-1920 / 海軍軍医・脚気研究 — 高木兼寛(海軍軍医総監として麦飯療法で脚気を制し、東京慈恵会医科大学を創設)
- 1853-1931 / 細菌学・伝染病研究所 — 北里柴三郎(ドイツでコッホに学び破傷風菌純粋培養法・ペスト菌発見、北里研究所・慶應義塾大学医学部を創設)
- 1854-1922 / 応用化学・製薬 — 高峰譲吉(タカジアスターゼ発明・アドレナリン結晶単離、三共製薬の創設に関与、近代日本の製薬産業の祖)
- 1854-1931 / 高等教育・物理学 — 山川健次郎(会津白虎隊士から米イェール大学を経て日本人初の物理学博士、東京帝大総長 11 年 11 か月)
- 1865-1950 / 物理学・原子モデル — 長岡半太郎(土星型原子モデルでラザフォードに先駆ける、第1回文化勲章、85 歳の死の当日まで地球物理学の本を読んでいた日本物理学の祖)
約 80 分の散策で、江戸末期の蘭方医に始まり昭和の物理学者に終わる、明治日本の知的基盤の系譜を体感できる。
注目してほしいのは、「長与家の医学・文化系譜」が霊園内で複数のルートと交差する点。本コースはその源流である長与俊達(蘭方医、シーボルトに学ぶ)から始まり、孫の長与専斎(衛生行政の祖、本コース)→ 曾孫の長与又郎(東大総長、医学者)→ 長與善郎(白樺派の作家、文人コース)というように、一族から異なる分野のトップを輩出した。明治日本の知的中枢の家族構造を、青山霊園は色濃く残している。
津田仙の娘・梅子(津田塾大学創立者)、北里柴三郎が指導した志賀潔・野口英世、高峰譲吉の創設した三共製薬(現・第一三共)、長岡半太郎の弟子・本多光太郎(KS 鋼)や仁科芳雄(原子核物理) — 本コースの 9 名は、誰もが「次世代の人材」「現代に残る研究機関や企業」を育てた指導者でもあった。霊園を歩きながら、現代日本の科学・医学・大学・女子教育・物理学・製薬産業がどの墓から始まったかを、足で辿れる。
Google Maps で散歩経路を開く
9 名の墓所を時系列順(江戸末期→昭和)に巡る徒歩経路を Google Maps の徒歩モードで開けます。
経路順(時系列):
- 長与 俊達(1種イ13号2側)←蘭方医・種痘
- 津田 仙(1種ロ8号付近)←西洋農法・教育
- 何 礼之(1種イ3号4側)←英学・明六社
- 長与 専斎(1種イ12号2側)←衛生行政
- 高木 兼寛(1種イ10号21・22側)←海軍軍医・脚気
- 北里 柴三郎(1種イ19号2側)←細菌学
- 高峰 譲吉(1種イ15号3側)←応用化学・製薬
- 山川 健次郎(1種ロ18号5側)←東大総長・物理学
- 長岡 半太郎 ←物理学・原子モデル
総距離 約 1.3 km、墓所間 15-20 分(参拝込み 75-85 分)。