R O U T E

近代科学・医学・教育コース

明治日本の知的基盤を築いた人々


近代日本の科学・医学・教育を一から作った 9 名を訪ねるコース。シーボルトに学んだ蘭方医・長与俊達、西洋農法を導入した津田仙、英学者・明六社同人の何礼之、衛生行政の祖・長与専斎、海軍軍医として脚気を制した高木兼寛、伝染病研究所を創設した北里柴三郎、アドレナリン結晶単離・タカジアスターゼ発明の応用化学者・高峰譲吉、白虎隊士から日本人初の物理学博士になった山川健次郎、土星型原子モデルを提唱した長岡半太郎まで、江戸末期の蘭学から昭和の物理学まで、明治日本の知的基盤を築いた人々を巡る。

その他 所要 80 分 9 名

散歩経路マップ

マーカー番号は 人物紹介の順番(時系列・物語順)です。経路ラインは 効率よく歩ける順番で結んでいます。番号順と歩く順が異なるルートでは、線を辿る方が散策しやすくなります。

地図データ: © OpenStreetMap contributors

このコースの楽しみ方

近代日本の科学・医学・教育を一から作った 9 名を、活動期の時系列順に訪ねるコース。江戸末期の蘭学から、明治の医学・農業・衛生・教育、そして昭和の物理学まで、約 150 年にわたる知の系譜が立ち上がる。

約 80 分の散策で、江戸末期の蘭方医に始まり昭和の物理学者に終わる、明治日本の知的基盤の系譜を体感できる。

注目してほしいのは、「長与家の医学・文化系譜」が霊園内で複数のルートと交差する点。本コースはその源流である長与俊達(蘭方医、シーボルトに学ぶ)から始まり、孫の長与専斎(衛生行政の祖、本コース)→ 曾孫の長与又郎(東大総長、医学者)→ 長與善郎(白樺派の作家、文人コース)というように、一族から異なる分野のトップを輩出した。明治日本の知的中枢の家族構造を、青山霊園は色濃く残している。

津田仙の娘・梅子(津田塾大学創立者)、北里柴三郎が指導した志賀潔・野口英世、高峰譲吉の創設した三共製薬(現・第一三共)、長岡半太郎の弟子・本多光太郎(KS 鋼)や仁科芳雄(原子核物理) — 本コースの 9 名は、誰もが「次世代の人材」「現代に残る研究機関や企業」を育てた指導者でもあった。霊園を歩きながら、現代日本の科学・医学・大学・女子教育・物理学・製薬産業がどの墓から始まったかを、足で辿れる。

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9 名の墓所を時系列順(江戸末期→昭和)に巡る徒歩経路を Google Maps の徒歩モードで開けます。

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経路順(時系列):

  1. 長与 俊達(1種イ13号2側)←蘭方医・種痘
  2. 津田 仙(1種ロ8号付近)←西洋農法・教育
  3. 何 礼之(1種イ3号4側)←英学・明六社
  4. 長与 専斎(1種イ12号2側)←衛生行政
  5. 高木 兼寛(1種イ10号21・22側)←海軍軍医・脚気
  6. 北里 柴三郎(1種イ19号2側)←細菌学
  7. 高峰 譲吉(1種イ15号3側)←応用化学・製薬
  8. 山川 健次郎(1種ロ18号5側)←東大総長・物理学
  9. 長岡 半太郎 ←物理学・原子モデル

総距離 約 1.3 km、墓所間 15-20 分(参拝込み 75-85 分)。

巡る人物(9 名)

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    肖像 未公開

    長与 俊達 ながよ しゅんたつ

    1790 - 1854 江戸 学者 1種イ13号2側

    江戸末期 / 蘭方医・種痘 — 大村藩侍医として長崎・鳴滝塾でシーボルトに学び、佐倉順天堂で蘭学修業を重ねた蘭方医。解体新書の系譜を継いで大村藩内に種痘を普及させ、孫の長与専斎にも種痘を施した。本コース「長与家の医学・文化系譜」の源流

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    津田 仙の肖像

    津田 仙 つだ せん

    1837 - 1908 江戸・明治 学者

    明治初期 / 西洋農法・キリスト教教育 — 幕府外国奉行通弁役からウィーン万博を経て西洋農法を導入、学農社農学校・『農業雑誌』を創立して日本初の通信販売を実施。青山学院創設に関与、娘・梅子(津田塾大学創立者)を最初期の女子留学生として米国へ送った

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    何 礼之の肖像

    何 礼之 が のりゆき

    1840 - 1923 明治・大正 学者 1種イ3号4側

    明治初期 / 英学・明六社 — 長崎の唐通事から日本初期の英学者へ、伊藤博文・木戸孝允・井上馨らに英語を教えた明治啓蒙運動の先駆。森有礼が結成した明六社の同人として近代知の輸入を担い、後に元老院議官

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    長与 専斎の肖像

    長与 専斎 ながよ せんさい

    1838 - 1902 江戸・明治 学者 1種イ12号2側

    明治初期 / 衛生行政 — 初代内務省衛生局長として「衛生」の語を作り、医制を制定して近代日本の公衆衛生の骨格を築いた肥前大村出身の蘭方医。長与俊達の孫

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    高木 兼寛の肖像

    高木 兼寛 たかき かねひろ

    1849 - 1920 明治・大正 学者 1種イ10号21・22側1番甲

    明治20年代 / 海軍軍医・脚気研究 — 海軍軍医総監として麦飯療法で脚気を制し、米食偏重に挑んだ日向出身の医師。東京慈恵会医科大学の創設者として医学教育にも貢献

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    北里 柴三郎の肖像

    北里 柴三郎 きたさと しばさぶろう

    1853 - 1931 明治・大正 学者 1種イ19号2側

    明治30年代 / 細菌学・伝染病研究所 — ドイツでコッホに学び、破傷風菌純粋培養法・ペスト菌発見など世界的業績を挙げた細菌学者。北里研究所・慶應義塾大学医学部の創設者

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    高峰 譲吉の肖像

    高峰 譲吉 たかみね じょうきち

    1854 - 1922 明治・大正 学者 1種イ15号3側

    明治30年代 / 応用化学・製薬 — タカジアスターゼ(消化酵素)を発明し、世界で初めてアドレナリンの結晶単離に成功した応用化学者。三共製薬の創設に関わり近代日本の製薬産業の祖、米国・ニューヨーク学士会の創立にも関与

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    山川 健次郎の肖像

    山川 健次郎 やまかわ けんじろう

    1854 - 1931 明治・昭和 学者 1種ロ18号5側

    明治-大正 / 高等教育・物理学 — 会津白虎隊士から米国イェール大学を経て日本人初の物理学博士・教授へ。東京帝大総長を歴代最長 11 年 11 か月、九州・京都の各帝大総長も歴任、近代日本の高等教育制度を築いた

  9. 9
    長岡 半太郎の肖像

    長岡 半太郎 ながおか はんたろう

    1865 - 1950 明治・昭和 学者

    明治-昭和 / 物理学・原子モデル — 土星型原子モデルを提唱しラザフォードの原子核モデルに先駆けた物理学者。東京帝大教授・大阪帝大初代総長を歴任し、第1回文化勲章を受章。85 歳の死の当日まで地球物理学の本を読んでいた、日本物理学の祖