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太平洋戦争コース

開戦・敗戦・東京裁判 — 重い時代を生きた人々


太平洋戦争を政治・軍事・外交・宮中の側から関わった 11 名を訪ねるコース。ロンドン軍縮で開戦回避を模索した条約派海軍大将山梨勝之進から、三国同盟を結んだ松岡洋右、開戦直前のワシントンで最後の交渉に臨んだ来栖三郎、開戦・終戦時の外相東郷茂徳、ミッドウェーで散った山口多聞、沖縄戦で自決した牛島満、硫黄島で戦死した「バロン西」、ビルマで敗れ東京裁判で死刑となった木村兵太郎、終戦詔書を支えた宮内大臣松平恒雄まで、近代日本が直面した最も重い時代を多角的に歩き、最後は東京裁判で締めくくる。

太平洋戦争 所要 100 分 11 名

散歩経路マップ

マーカー番号は 人物紹介の順番(時系列・物語順)です。経路ラインは 効率よく歩ける順番で結んでいます。番号順と歩く順が異なるルートでは、線を辿る方が散策しやすくなります。

地図データ: © OpenStreetMap contributors

このコースの楽しみ方

太平洋戦争の開戦・遂行・終戦・戦後処理を、それぞれ異なる立場から関わった 11 名を、戦争の時系列順に訪ねるコース。政治・軍事・外交・宮中 4 つの視点で 1930-1945 を一通り辿り、最後は戦後処理の場・東京裁判へと至る。

約 100 分の散策で、戦争を始めた人・遂行した人・戦地で散った人・終わらせた人、そして戦後にその責任を裁かれた人 — 違う立場の人物が同じ霊園に眠る重みを実感できる。歴史を学ぶ場として、本コースは本サイトの中でも最も思索的な意味を持つ。

青山霊園 1種ロ8号という「総理大臣が並ぶ一画」には、加藤高明浜口雄幸ら戦前の政治家とともに、松平恒雄(終戦時の宮内大臣)、そして山口多聞の墓標が並んでいる。木村兵太郎の墓は付属の立山墓地にあり、東京裁判で死刑判決を受けた A 級戦犯の墓所として、青山霊園内では特異な意味を持つ。山梨勝之進は条約派海軍大将として開戦回避に奔走した一方、戦後は学習院長として明仁皇太子の教育を担い、戦争を「始まる前」と「終わった後」の両方から見届けた稀有な存在として位置づけられる。

本コースには、戦争を「終わらせる側」のドラマも深く刻まれている。松平恒雄の「会津賊軍の家から終戦詔書の渙発を支える宮内大臣へ」という人生は、その象徴である。来栖三郎は駐独大使時代に三国同盟を調印した「開戦の道」と、日米開戦回避の最後の試みを共に担った外交官。牛島満は太平洋戦争で最大の地上戦・最多の戦死者を出した沖縄戦の現地最高司令官として、本コースに加わっている。

そして戦争は、戦後処理の場で一つの決着を迎える。本コースで巡る松岡洋右東郷茂徳小磯国昭木村兵太郎の 4 名は、いずれも東京裁判(極東国際軍事裁判)で A 級戦犯として裁かれた被告でもある。1946 年 5 月に市ヶ谷で開廷し 2 年半に及んだこの裁判は、開戦から敗戦に至る国策決定の責任を問う場となった。被告たちを弁護する側の責任者 — 日本側弁護団長を務めた鵜澤總明もまた、本霊園に眠っている。明治大学総長を歴任し、戦勝国による裁きの場で被告擁護の論陣を組み立て続けた法曹である。裁かれた政治家・軍人と、それを弁護した法曹が同じ青山霊園に並ぶことは、この重い時代を別の角度から照らし出している。

Google Maps で散歩経路を開く

11 名の墓所を巡る徒歩経路を Google Maps の徒歩モードで開けます。山梨勝之進木村兵太郎の 2 名は青山霊園南端の立山墓地寄りにあるため、最後にまとめて巡る経路を推奨します。

🚶 散歩経路を Google Maps で開く

経路順:

  1. 松岡 洋右(1種イ3号1側)←三国同盟
  2. 来栖 三郎(1種イ4号30側)←三国同盟調印・日米交渉
  3. 東郷 茂徳(1種イ3号4側)←開戦・終戦外相
  4. 小磯 国昭(1種ロ8号33側)←戦中首相
  5. 木村 兵太郎(立山墓地 1種イ4号1側)←ビルマ方面軍
  6. 山口 多聞(1種ロ8号付近)←ミッドウェー
  7. 牛島 満(1種イ1号25側)←沖縄戦・第三十二軍司令官
  8. 西 竹一(1種イ8号3側)←硫黄島
  9. 緒方 竹虎(1種イ5号17側)←情報局総裁
  10. 松平 恒雄(1種ロ8号1・14側)←宮内大臣
  11. 山梨 勝之進(立山墓地寄り)←ロンドン軍縮・条約派

総距離 約 1.7 km、墓所間 25-30 分(参拝込み 95-105 分)。

巡る人物(11 名)

  1. 1
    肖像 未公開

    山梨 勝之進 やまなし かつのしん

    1877 - 1967 明治・昭和 軍人 1種イ22号8側6番

    宮城、海軍大将。1930 ロンドン海軍軍縮会議の妥結に「暗殺される覚悟」で奔走した条約派の中核。後に学習院長として明仁皇太子の教育を担い、戦後の象徴天皇制の精神的支柱の一人となった

  2. 2
    松岡 洋右の肖像

    松岡 洋右 まつおか ようすけ

    1880 - 1946 昭和 政治家 1種イ3号1側

    山口、国際連盟脱退・三国同盟締結を主導した外相。日米開戦に至る道筋を作った A 級戦犯被告(判決前に死亡)

  3. 3
    来栖 三郎の肖像

    来栖 三郎 くるす さぶろう

    1886 - 1954 明治・昭和 政治家 1種イ4号30側

    神奈川、駐独大使として日独伊三国同盟調印(1940)、日米開戦直前のワシントンで野村吉三郎と最後の交渉に臨んだ特派大使(1941)。米国人妻を持ち、日米開戦の悲劇を最前線で見た外交官

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    東郷 茂徳の肖像

    東郷 茂徳 とうごう しげのり

    1882 - 1950 大正・昭和 政治家 1種イ3号4側

    鹿児島、開戦時と終戦時の外相。終戦工作に尽力するも東京裁判で禁固20年、巣鴨で病死

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    小磯 国昭の肖像

    小磯 国昭 こいそ くにあき

    1880 - 1950 明治・昭和 政治家 1種ロ8号33側

    栃木、戦中の第41代総理大臣(1944-1945)、終戦工作も完遂できず退陣。終身刑、巣鴨で病死

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    木村 兵太郎の肖像

    木村 兵太郎 きむら へいたろう

    1888 - 1948 大正・昭和 軍人 1種イ4号1側(立山墓地)

    埼玉、陸軍大将。ビルマ方面軍司令官として終戦時の困難な戦線を率いるも英軍に大敗。東京裁判で死刑判決、巣鴨で絞首刑となった A 級戦犯 7 名の一人。墓は付属の立山墓地にある

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    山口 多聞の肖像

    山口 多聞 やまぐち たもん

    1892 - 1942 大正・昭和 軍人 1種ロ8号1・14側

    島根、海軍中将。米国通の航空戦専門家、ミッドウェーで旗艦・飛龍と運命を共にした

  8. 8
    牛島 満の肖像

    牛島 満 うしじま みつる

    1887 - 1945 大正・昭和 軍人 1種イ1号25側

    鹿児島、陸軍大将。沖縄戦で第三十二軍司令官として米軍上陸軍を 3 ヶ月にわたって抑え、本土決戦の時間稼ぎを行った後、摩文仁の司令部壕で自決した。陸軍士官学校長を歴任した武人

  9. 9
    西 竹一の肖像

    西 竹一 にし たけいち

    1902 - 1945 大正・昭和 軍人 1種イ8号3側

    東京、ロサンゼルス五輪馬術金メダリスト「バロン西」。硫黄島の戦いで戦死、米軍も哀悼した名将

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    緒方 竹虎の肖像

    緒方 竹虎 おがた たけとら

    1888 - 1956 大正・昭和 政治家 1種イ5号17側

    山形、朝日新聞主筆から鈴木貫太郎内閣の情報局総裁・国務相へ。終戦工作の中核を担った

  11. 11
    松平 恒雄の肖像

    松平 恒雄 まつだいら つねお

    1877 - 1949 大正・昭和 政治家 1種ロ8号1・14側

    会津、終戦時の宮内大臣として終戦詔書の渙発・天皇制存続交渉の宮中側中核実務を担う。会津藩主松平容保の四男(賊軍の家)から皇室外戚(秩父宮妃の父)へ、戦後は初代参議院議長として戦後民主主義の起点も担った