このコースの楽しみ方
太平洋戦争の開戦・遂行・終戦・戦後処理を、それぞれ異なる立場から関わった 11 名を、戦争の時系列順に訪ねるコース。政治・軍事・外交・宮中 4 つの視点で 1930-1945 を一通り辿り、最後は戦後処理の場・東京裁判へと至る。
- 1930 / ロンドン軍縮 — 山梨勝之進(条約派海軍大将、軍縮妥結に「暗殺される覚悟」で奔走、戦後は学習院長として明仁皇太子の教育)
- 1933-40 / 国際連盟脱退・三国同盟 — 松岡洋右(外相、日米開戦に至る道筋を作った A 級戦犯被告、判決前に死亡)
- 1940 / 三国同盟調印 — 来栖三郎(駐独大使として日独伊三国同盟に署名、1941 年には日米開戦直前のワシントンで野村吉三郎と最後の交渉、米国人妻を持つ外交官)
- 1941-45 / 開戦・終戦外相 — 東郷茂徳(終戦工作に尽力するも東京裁判で禁固 20 年、巣鴨で病死)
- 1942.6 / ミッドウェー海戦 — 山口多聞(海軍中将、米国通の航空戦専門家、旗艦・飛龍と運命を共にした)
- 1944-45 / 戦中首相 — 小磯国昭(第 41 代総理、終戦工作完遂できず退陣、終身刑、巣鴨で病死)
- 1945.2-3 / 硫黄島の戦い — 西竹一(LA 五輪馬術金メダリスト「バロン西」、米軍も哀悼した名将)
- 1945.4-6 / 沖縄戦 — 牛島満(第三十二軍司令官として米軍上陸から 3 ヶ月の抵抗を指揮、摩文仁の司令部壕で自決)
- 1945 / ビルマ方面軍・東京裁判 — 木村兵太郎(陸軍大将、終戦時のビルマ戦線で英軍に大敗、東京裁判で死刑判決、A 級戦犯 7 名の一人、立山墓地に眠る)
- 1945 / 情報局総裁・終戦工作 — 緒方竹虎(朝日新聞主筆から鈴木貫太郎内閣の国務相へ、終戦工作の中核)
- 1945 / 宮内大臣・終戦詔書 — 松平恒雄(会津藩主松平容保の四男から皇室外戚へ、戦後は初代参議院議長)
- 1946-48 / 東京裁判 — 松岡・東郷・小磯・木村が A 級戦犯として裁かれ、弁護団長を鵜澤總明が務めた(東京裁判)
約 100 分の散策で、戦争を始めた人・遂行した人・戦地で散った人・終わらせた人、そして戦後にその責任を裁かれた人 — 違う立場の人物が同じ霊園に眠る重みを実感できる。歴史を学ぶ場として、本コースは本サイトの中でも最も思索的な意味を持つ。
青山霊園 1種ロ8号という「総理大臣が並ぶ一画」には、加藤高明・浜口雄幸ら戦前の政治家とともに、松平恒雄(終戦時の宮内大臣)、そして山口多聞の墓標が並んでいる。木村兵太郎の墓は付属の立山墓地にあり、東京裁判で死刑判決を受けた A 級戦犯の墓所として、青山霊園内では特異な意味を持つ。山梨勝之進は条約派海軍大将として開戦回避に奔走した一方、戦後は学習院長として明仁皇太子の教育を担い、戦争を「始まる前」と「終わった後」の両方から見届けた稀有な存在として位置づけられる。
本コースには、戦争を「終わらせる側」のドラマも深く刻まれている。松平恒雄の「会津賊軍の家から終戦詔書の渙発を支える宮内大臣へ」という人生は、その象徴である。来栖三郎は駐独大使時代に三国同盟を調印した「開戦の道」と、日米開戦回避の最後の試みを共に担った外交官。牛島満は太平洋戦争で最大の地上戦・最多の戦死者を出した沖縄戦の現地最高司令官として、本コースに加わっている。
そして戦争は、戦後処理の場で一つの決着を迎える。本コースで巡る松岡洋右・東郷茂徳・小磯国昭・木村兵太郎の 4 名は、いずれも東京裁判(極東国際軍事裁判)で A 級戦犯として裁かれた被告でもある。1946 年 5 月に市ヶ谷で開廷し 2 年半に及んだこの裁判は、開戦から敗戦に至る国策決定の責任を問う場となった。被告たちを弁護する側の責任者 — 日本側弁護団長を務めた鵜澤總明もまた、本霊園に眠っている。明治大学総長を歴任し、戦勝国による裁きの場で被告擁護の論陣を組み立て続けた法曹である。裁かれた政治家・軍人と、それを弁護した法曹が同じ青山霊園に並ぶことは、この重い時代を別の角度から照らし出している。
Google Maps で散歩経路を開く
11 名の墓所を巡る徒歩経路を Google Maps の徒歩モードで開けます。山梨勝之進・木村兵太郎の 2 名は青山霊園南端の立山墓地寄りにあるため、最後にまとめて巡る経路を推奨します。
経路順:
- 松岡 洋右(1種イ3号1側)←三国同盟
- 来栖 三郎(1種イ4号30側)←三国同盟調印・日米交渉
- 東郷 茂徳(1種イ3号4側)←開戦・終戦外相
- 小磯 国昭(1種ロ8号33側)←戦中首相
- 木村 兵太郎(立山墓地 1種イ4号1側)←ビルマ方面軍
- 山口 多聞(1種ロ8号付近)←ミッドウェー
- 牛島 満(1種イ1号25側)←沖縄戦・第三十二軍司令官
- 西 竹一(1種イ8号3側)←硫黄島
- 緒方 竹虎(1種イ5号17側)←情報局総裁
- 松平 恒雄(1種ロ8号1・14側)←宮内大臣
- 山梨 勝之進(立山墓地寄り)←ロンドン軍縮・条約派
総距離 約 1.7 km、墓所間 25-30 分(参拝込み 95-105 分)。